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 お昼前、苫小牧港のフェリーにバイクを積み込み、帰路は大奮発した1等船室に入る。そして程なく出航・・・と思いきや、本来、太平洋の防波堤に向かって進むところ、逆にバックしているではないか。船内放送に耳を傾ける。「九州手前にいる台風の進路が関東方面と予想されるのでしばらく苫小牧の運河に停泊します。」ま、仕方がない。1日くらい着くのが遅れたって、荒れた海で酔うよりマシ。
 夕方、台風が進路を変えたそうで、我フェリーは苫小牧運河を東京に向けて静かに、滑るように出航。夏の夕日をうけて、金ピカに輝く太平洋の海を進んでいる。妻との夕食後、偶然にもペアスロープの革ツナギを着たお客さん(確か佐藤さんだったかと)と出会い、つい先日の北海道話に花が咲く。そして船室に戻ると旅の疲れかウトウト。


 その夜、なぜか起きてデッキで何気なく海を見ていると、陸地が見える。進行方向「左側」に!。東京に向かって南下している船は、右に陸地が見えても、それが左側なんて、そんな事ありえないのである(アメリカ大陸なら解るが)。そして早朝に船内放送、「台風が、再度関東に進路を向けたので、本船は青森湾へ避難停泊しています。出航は未定です。お急ぎのところ・・・」ま、またかよ〜、1泊目でまだ青森かよ。と思うが、再度、酔うよりマシと観念する。でも日高の海岸で拾ってきたコンブ、腐っちまうだろうな〜。
 2日目のフェリーはしばらく停泊したのち、そ〜っと青森湾を出航した。きっと台風はどこかに消え去ったのだろう。

 昼に再度目が覚めた。なんと、揺れているのである。それもものすごく揺れている。その揺れは単なる序曲なのをあとで知ることになるが。そして船内放送「台風は本州を横断し、日本海へと通りぬける予想でしたが、進路を突然変えて、只今本船の進行方向をこちらに向かっており、まもなく暴風圏に突入します。すでに避難する港がありませんので、通常航路より遠い沖合い100キロを航行中です。尚、波の高さは10メートル以上ありますので・・・」(この放送はしっかり憶えている)、な、なんだとぅ? いままで2回も退避しといて、台風が向かってくるというより、こっちが台風に突進してんじゃねえか。(う〜、気持ちわりぃ)それに沖合い100キロも離れたら、沈没ん時、泳いで帰れないじゃねえか。。。ギシギシ、ゴゥゴゥの雑音の中、かすかに聞こえる船内放送にじっと耳を傾ける。「お客様にお知らせいたしますぅ・・・」お、何かいい情報でも、、、「昼食のご用意ができておりまぁ〜す。」 バッ、バッキャロ〜 ウップ。
 部屋の妻はというと、ツワリと重なって完全にグロッキー。介抱してあげたいがこちらも同じくグロッキー。昨夜から何も食べていないのでせめてジュースでも買って来てあげようと最後の力をふりしぼってロビーに向かう。と、先ほどの我がお客さんの佐藤氏、「昼飯いっしょに食いましょうよぉ、食堂ガラガラですよぉ〜。」「はぁぅ?」(あまりしゃべれない状況)、たとえ今、食堂が全品無料でも、食べたらお金くれると言われても行く気にはなれない。そんな俺の顔色を察して一人で行ってしまった。なんと強力な(鈍感な)三半規管の持ち主だろうか。

1983年の時刻表には、東京から苫小牧行きの長距離フェリーが掲載されていた。
苫小牧までの往路2泊3日は長いと思ってしまうが、夜遅めの出航の為、仕事を終えてからでも十分に間に合い、翌々日は走り始めるのに最適な朝の時間帯に到着。復路は定刻なら1泊2日だが、台風直撃の我が船は、もう1泊のサービス?を受ける。
苫小牧行きだけでなく釧路行きも便利であったが、現在は双方共に残念ながら消滅。
尚、時刻表下隅には当時の国鉄のキャッチ「いい日旅立ち」。テレビから流れる山口百恵の唄が旅情を誘った。余談ですが。


 さて、とうとう暴風圏に突入。後にも先にも、生まれてこのかた、こんなに揺れる船に乗ったのは初めてだ。この部屋、1等船室はいちばん前の客室で、恐らくビルでいえば海面から5階以上の高さに相当する。その窓から前方を見ると、あろうことか、波の中に船首が突っ込み、その波しぶきがこの高さの窓を襲う。次の瞬間、船首は空に向かって上がり始め、窓からかすかに見える大荒れの水平線(まったく水平ではない)は目線よりはるか下に。。。ゴリンゴリンといったエンジンの音の合間に時折聞くカランカランカランという音、あとで佐藤氏に聞いたらスクリューが海面から出て、空転しているのだと言う。これでも1万トン級の船か?まるで木の葉だ。       
 そして北海道で癒された、晴々した心と、心機一転の気合いは、台風の信じられないくらいの大波にさらわれ、何も考えられないグロッキーな俺と妻が部屋に横たわる。捨てに行く気力もない、ついに腐った日高コンブと共に。。。


 あれから何時間たったのだろうか、外は明るく、船は太陽の日差しを浴びている。しかもまったく揺れていない。そして船内放送「一日遅れて、只今東京湾浦賀水道を航行中です。みなさまお急ぎのところ大変ご迷惑を・・・」お〜、沈没しなかったようだ。

 妻といっしょに外のデッキに出てみる。昨日の天候がうそのような真っ青な快晴。そして1万トンの我がフェリーは東京湾の波など微動だにせず、海の上を滑るように、ほんとにスーと滑るようにゆっくりと進んでいる。大変な船旅もとうとう終わりに近づいている。そう思うとなんだか腹がへってきた。それと同時に台風にさらわれたはずの、癒された心と気合いが戻ってきた気がした。ガンバロウ。


 ほんとうにいい旅をしたのだろう。だから20年たった今でも、これだけ鮮明に覚えているのだから。ありがとう、北海道。








やがて2年が過ぎ・・・

まだ1歳と少々の息子の革ツナギを作る。

シャーリング・バンクセンサー、
あかん坊用レーシングブーツも装備。
親バカこの上ない。
しかも、筑波サーキットコース上である。。。






そしてまた“北海道”からちょうど20年後の夏・・・

こうなることはある程度予想ができた。

親子3人のサーキット走行である。
しかしその革ツナギは左の息子から、
RSタイチ・クシタニ・RSAレザーズの各社製
・・・ペアスロープの名は無い。







「北海道に学ぶ」
   おしまい


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