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 1983年8月、現在は運行していない東京晴海ふ頭発、苫小牧行きの長距離フェリーに乗り込む。夜遅くに出港し船中2泊、3日目の早朝5時頃に着岸の行程だが、そのダラダラとした時間がまた良い。今と違って、衛星放送もなく、東京湾を出てしまえば、テレビなどただの箱。起きるまで寝て、腹が減ったら食事して、暇つぶしにマンガと週刊誌を読みあさる。もちろん電話がかかってくることもない。そうそう、フェリーには小さな映画館みたいなルームがあり、「只今より、映画を上映いたしま〜す」なんて船内放送が始まると、暇を持て余した連中がぞろぞろと集まってくる。映画は「幸福の黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」等、みな北海道に関連した山田洋次監督作品。そして映画が終わると、男は主演の高倉健、女は助演の倍賞千恵子となって出てゆく、お決まりのワンパターン。当然俺も高倉健である(武田鉄矢ではない)。不器用ですが。。。
 そんな2泊3日の船旅、今はもうない。

 
 さて、カワサキGPZ750とホンダRSZ250の2台が下船。苫小牧から寄り道せずに札幌に着き、北海道地域限定版“Do Bike”という二輪誌の編集部に向かった。なぜ訪問したのかはまったく記憶にないのに、そこでご馳走になった”にぎり寿司“の美味さは鮮明な記憶として残っている。当時、寿司といえばチェーン店”小僧寿し“しか喰えなかったので、新鮮な「うに・かに・ほっき・ぼたん海老・いくら・・・」がのったその味、これはもう死ぬかと思うほど美味かった。
 その後、旭川を経て層雲峡に。こういった観光地、俺の基本としては見向きもせず通過が鉄則なのだが、なぜかここに泊まっている。しかも、リフトで山に登っているからなおさら不思議だ。おまけにエゾリスと遊んだりして、、、。
 翌日もまた鉄則に反して、網走刑務所、原生花園と、観光地を巡っている。もう、ヤロー同士では絶対にとらない行動だね。。。

層雲峡。
観光地を歩き回るのも、メシを食いに行くのも全て革つなぎ。
当時はそれがフツー。
原生花園。
原野に生えた花園(はなぞの)、頭の中はそんなイメージ、
だが、どこをどう見ても草っぱらにしか見えない。

当時からこんなライディング一人フォトを撮っていたのです。自分で言うのもナンですが、現在はかなり上達しておりますです。はい。
 
 しかし北海道というのは、なんど渡っても新鮮に感じる土地、妻と走った20年前ですらこうして記憶がよみがえるのだから。どこで何を食ったか(私の場合これが一番記憶に残るが)、どこに泊まったか、どの道が楽しかったか、等々。しかし、だれと行ったかが、ほんとうは記憶に残る一番の要因なのかもしれない。事実、妻とのこのツーリングの5年前に悪友と2人で行った北海道ツーリング。写真は残っているのに、どこをどう走って何が楽しかったのか記憶に乏しい。覚えていることは、1枚の写真から、最北端 宗谷岬でスピーカーから大音量で延々と流され続ける「〜宗谷のミ〜サキ〜♪」、おかげでしばらくは走りながら「〜宗谷のミ〜サキ〜♪」が頭から離れないでいたこと、そして帰りのフェリーのチキンライスが異常にマズかったこと(やはり食い物)だけ。ま、ヤローと女の差ってこんなもんだろうがネ。

妻との北海道ツーリングの5年前の写真。男二人旅だが、たいした記憶が残っていない。
左は宗谷岬、下はその当時の愛車CB-750K6と友人のGX750(ヤマハの珍車3気筒)、そしてのちに前者はホンダ、後者はヤマハに入社する生粋のバイクバカ。そしてまたのちに、前者はバイクウエアメーカーを作る極めつけの・・・大バカ。
 
 オホーツクの海沿いを走り、ウトロから知床半島を横切る。当時はまだ所々未舗装ダートがあり、後ろからついてくる妻を気づかうが、その頃俺はヤマハXT500(SRの前身?オフロードモデル)、妻はホンダXL200も所有し、たまに林道やモトクロスコースも楽しんでいたものだから難なく走破する(腹の子にもいい運動だ)。
左が妻(厳密にはまだ交渉中)、右端が俺。この頃は、モトクロからロードレース、はたまたトライアル(いずれも草レースだが)まで挑戦していた勢力的なバイクアホー。


北海道の定番 知床峠。

現在の知床峠 素晴らしく快適な羅臼側の下り坂。20年以上前は工事中の片側通行やジャリ道がほとんど。


 知床峠を下り、その晩は羅臼(ラウス)の民宿に泊まる。魚介類の食事は美味かったものの、部屋はふすまを隔てて隣に若者グループ(こちらも若いが)、夜遅くまで騒がれて眠れなかったと記憶する。
 さて翌日はまたまた俺の鉄則をやぶって、観光地 摩周湖に到着。霧の摩周湖といったイメージはまったくなく快晴の下、みごとな景色を現す。そしてすでに東京を離れて数日経ったこの頃になると、仕事で挫折を味わったダメ男の姿はそこになく、北海道ルンルン旅の自分がいる。雄大な景色と妻の笑顔+が心を癒してくれたのだ。

 摩周湖。

 阿寒湖の宿を出て、襟裳岬へと向かう。もう鉄則などどうでもよく、当然ながら「幸福駅」に立ち寄り、黄金道路へ。黄金という名の素晴らしい道を想像していた妻だが、未舗装部分が点々と続く、それも「土」ではなく「砂利」。その砂利道がどれだけバイクにとって走り辛いか分かるよね。しかも、革ツナギ着た、身ごもった妻にとって、、、。

 黄金道路。

 北海道最後の宿は、コンブで有名な日高の民宿に泊まる。それにしても渡道してから、一滴の雨も降らず、霧の黄金道路通過を除きすべて快晴だった。そして心も。“よし、東京に帰ったら生まれてくる子供のためにも頑張ろう!”と決意するのであった。その決意は途切れずに東京まで運ぶつもりだった。フェリーに乗るまでは、、、、、。


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