2010年2月:京都3日目


祇園にて。





 よそ者の私がイメージする京都の代表的な所は、清水寺、二条城、京都御所、嵐山、東山、そして祇園、そしてまた梅小路機関車館(19両の蒸気機関車を保存:筆者にとっては京都イメージのナンバーワン)であろう。
 ということで3日目は京都の中心的観光地と言える祇園(ぎおん)。それを撮らずしてなぜ京都に来たのか、と言えるほどに外せない。ここも警察署から道路使用許可をもらっているが、観光客が多いことは予想済み。

 伏見のビジネスホテルでささっと朝食を済ませ、ひょいとCBを松下号に載せて約40分、祇園白川に着く。平日の朝、ということもあり、観光客はほとんどおらずラッキー・・・なのだが、朝のためゴミ回収車が来ておらず、点々とあのブルーのゴミバケツが居座っている・・・アンラッキー。
 「あのゴミバケツ、なんとかならないかなぁ〜」 ぼやく坂上カメラマンだが、ゴミ移動許可まではもらっていない。まあなんとかそれを外してカッコ良〜く撮ってちょうだいな。。。



















 どうです、上記写真を見たら手に入れて見たくなったでしょう。気が向いたらお買い上げを。 ・・・いや、お願いです、どうかすぐにでもお買い上げ頂ければ幸いですぅ。
 祇園という華やかな街のイメージから、野郎(スマン、松下ヨシナリだ)の撮影シーンだけというわけにもゆかず、女性も登場させる。とはいえ弊社のような弱小メーカーではモデルを手配できる予算などないので、いつもながら筆者のカミさんである。
 なお左の写真は弊社ペアスロープ用ではない。松下のハンチングとデニムのウェア、そしてカミさんのバッグ、それらはRSタイチ京都のみの販売ブランド“京ZIMBA”のアイテムだ。あちらさんもモデル予算の関係上といったところだろうが、今回のロケではたいへんお世話になっているのでサービス。
 しかし双方が履いているブーツ、カミさんの革ジャンはペアスロープなので、なんだか訳わからんかな、この写真は。(筆者撮影だし、まあボツだな)

※“京ZIMBA”を覗いてみたい方は(あとで)こちらへ >>



2月の節分時季では、当然ながら辺りは春っぽくない。ならば桜の造花でごまかそうとしたものの、奥に立つ本物の桜の木は寒々とした状況。

造花をカメラのレンズ前に持って撮ってはみたけれど・・・インチキはバレますよね。

撮影には、努力はしたものの報われず・・・ようするに失敗というのもあります。。。






 撮影しながら2時間ほど待っただろうか。何を? いやぁ、舞妓(まいこ)さんを。
 祇園の街並みには舞妓さんがうようよ歩いているとイメージしていた(勝手に)。舞妓さんとバイク野郎のツーショットを撮りたかった。しか〜し、一人もいない! ・・・考えて見たら、朝から歩いているわけがないわなぁ。(企画だおれか)




午後、な、なんと舞妓はんがぁ・・・。



 京都伏見に戻った。祇園に比べれば華やかさはないものの、歴史ある蔵元が立ち並ぶ風情は、落ち着きがある町並みである。
 京都市内には老舗が多い。余談だが3月下旬に掲載されていた新聞の記事によると、100年以上経営が続いている会社の割合は京都府がもっとも多い。そしてその業種は全国多い順に、酒造・酒小売・呉服・旅館・・・と続く。それらはみな京都に当てはまるわけだ。
 月桂冠もそのひとつ。1637年の創業というのだからそれはそれは歴史ある蔵元。恐れ多くもその蔵元に「御社をバックにバイクウェアを撮らせてくださ〜い」(もちろん撮影計画書なるものを提出)と無理をお願いしたのだ。あつかましくも。
 しかし寛大な月桂冠様は許可をしてくれた。さて月桂冠大蔵記念館のすぐ横を陣取って、ぼちぼち撮影を始めようか。







 お〜、歩いているじゃないの、何回もバイク野郎の横を通り過ぎるじゃないの、舞妓はん・・・なわけないわな。そんな都合よく撮影中に。それにもし運良く舞妓はんに出会ったとしても、撮影に協力してくれるわけがないわな。
 ということであらかじめ手配した舞妓はんである。本物かって? いやいや、本物はものすご〜くギャラが大盛りなので、貸衣装のニセ舞妓ですな。でも頭の髪はカツラではなく本結いですぞ。
 舞妓はん、バイク野郎(松下)の横を、かれこれ10往復はさせてしまったかな。あの高ゲタ(何という名?)は歩き慣れていないから超ゆっくり歩行。だからカメラのシャッター速度も超スローの10分の1秒、だからピンを合わせる松下〜、動くんじゃないぞ! 「呼吸するなよっ!」とは坂上カメラマンの弁。
 で、撮ったのが以下の写真である。












 まあ早い話が「舞妓はんが振り返るほど、バイク乗りはカッコ良くありたい!」ということですな。
 さて、月桂冠の前で撮影したのには深〜いわけがある。酒好きの筆者だから、というのではない。その理由はもちろん龍馬。でもなぜ龍馬?と思う方もおられよう。では簡単に説明を。

 前のページ(第二話)で寺田屋をご覧に入れた。時は1866年の江戸時代末期、龍馬は寺田屋で何者かに襲われたが、弊社のR-01に似たブーツを履いていた為に?逃げることができた・・・とすでに書いたが、その逃げた所が、寺田屋から数百メートル先の薩摩の藩邸。その時、西郷隆盛がいたかは不明。
 してその藩邸は明治維新後に月桂冠の所有となり、現在は関連会社で酒造りを営んでいる。
 ・・・そう、のちの月桂冠敷地内に龍馬はかくまわれていたのだ。という関係で撮影場所にここを選んだわけである。


 なお、月桂冠大倉記念館は酒造用具類を保存し、伏見の酒造りと日本酒の歴史をわかりやすく紹介している建物。もちろん月桂冠の各種日本酒や酒関連グッズ、奈良漬(これ買うの忘れたぁ)の楽しい売店もある。伏見に来たら、寄ってみる価値あり!






打ち上げ・・・毎度の宴。


 坂上カメラマンとの2日間の撮影は終了した。最終日の明日は筆者単独のイメージカット撮りとなるが、その前に今夜も酒をしこたま飲まなければならない。

“鳥せい” 打ち上げ。 この目は眠る直前。

 初日は“月の蔵人”、2日目は“キザクラカッパカントリー”、そして3日目の打ち上げは鶏料理の“鳥せい”である。この3軒は半径100m以内にあり、もし1泊だったら、どの店にしようかと迷うだろう。(だから3泊にした)
 鳥せいも蔵元を改装した豪快な店内で、呑んべいには好感が持てる。が、半個室を予約。
 総勢スタッフ6名で乾杯。そして1時間ほどガバガバ飲んだだろうか、早くも一人脱落。松下ヨシナリの爆睡である。きっと疲れたのだろうなあ、と思う人は多かろうが、毎度のことなのだ。
 旨い酒を飲み終え、宿に向かってふらふらと歩く。宿の手前には古そうなまんじゅう屋(まんじゅうではなく建物が古い)。今夜の〆はお茶とまんじゅうだ。伏見の夜は静かに更けてゆく。



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