2013年6月5日


「よってったんせぇ」とは、三陸のとある地域の方言で、「どうぞお寄りください」の意味である。

 宮古で三陸の旨い海の幸を堪能した我らは、さらに南下する。
 ところで、三陸鉄道の北リアス線と南リアス線は、JR山田線に接続して鉄道は通っていた。2011年のあの震災までは。しかし三陸鉄道は2013年6月現在、全力で復旧工事を進めるものの、JR山田線の復旧のめどはまったくたっていない。その理由は・・・あとで少し触れようか。

 かれこれ20年ほど前になるだろうか。私は家族でこの地に鉄道で訪れている。昼、宮古駅近くの魚屋で牛乳瓶に入った生ウニを買い、そしてご飯を買い、山田線の車内で美しい車窓を楽しみながら食ったことを今でも覚えているのだ。
 さて、その山田線に沿って、ちょっと寄り道しながら釜石へと走ろうか。。。







久慈より三陸海岸線を南下。

フォト:坂上
 ホテルの前の漁港で写真を撮り、やはり今日のスタート地点としての宮古駅に向かう。宮古駅は三陸鉄道(三鉄)南リアス線の本社がある拠点。そしてJR山田線と接続している、、、が、山田線は三陸海岸沿いの釜石まで不通で、線路が延びているのは盛岡方面のみである。

 三鉄宮古駅の訪問にはワケがある。昨日は三鉄の車両を撮らせていただいた。なのでそのお礼、というよりわずかな支援だが、三鉄が販売するお土産を買うのが目的だ。ほんとは乗りたかったんだけどねえ、そうもゆかなくてねえ。
 三鉄の売店であれとそれとこれをキップ売り場で購入。そして駅員にホームに入ってよいかを尋ねる。「どうぞどうぞ、ホームは入場フリーですから」との答え。しかし私のような“鉄”は、ちゃんと入場券を買ってホームにはいるのだ。

三鉄宮古駅のキップ売り場。

ホームにて。カミさんは入場券を買っていない。
さまざまなお土産。

硬券(昔ながらの厚紙)の入場券、140円也。





絶景・・・でも誰もいない。

 宮古駅を離れ、国道45号線を南下。今夜の宿は岩手県の県境を過ぎてすぐの宮城県気仙沼だが、このまま国道を走れば昼には着いてしまいそうな距離なので少々寄り道をしよう。宮古市の対岸の半島が面白そうだ。絶景があるそうだ。


宮古駅から国道を南へ。広い入り江を挟んで、対岸に半島の山々が連なる。


今度は重茂半島を北上。。


山の中に入る。こんな感じの道ではクルマとはペースが合わず、ゼファー単独走行となる。



オモシゲ? ナントカヶ崎灯台? は左かあ。正解は重茂(おもえ)、魹ヶ崎(とどがさき)。


左前方に宮古市が見える。


道の分岐点のバス待合所でクルマを待つ。民家のないこの場所でバスを待つ人はいるのだろうか。



 オンボロバスのバス待合所が重茂(おもえ)半島の月山(ガッサン?ツキヤマ?)の入口で、頂上まで4キロとある。まっ、あと4~5分てとこかな、とその細い道を見ると・・・・・









 未舗装林道でやんの。。。

 タンクバッグの2013年度版ツーリングマップルにはこう書いてあった。「バイクで山頂まで行ける」と。しかし追記してほしかったなあ『ただし未舗装』を。それが分かっていたらパスしていただろうに。

 その林道の入口で一瞬止まった。そして迷った。4キロは長い、進むべきか、引き返すべきか。すぐ後ろにはバンがいる。ここで引き返したら運転している坂上カメラマンはあとできっとこう言うだろう。「なに?怖いのぉ? 案外根性ないねえ」と。そう言われてはたまったもんじゃないのでGo!。

片側のワダチしか走れないデコボコ道を10~30km/hで慎重に登る。写真など撮ってる余裕はないのだが。


バンをはるかに引き離して、やっと月山(455.9m)の山頂に到着。



あと2キロもあるのかぁ・・・といった心境。しかもここからは急勾配のヘアピンカーブ。


絶景だと?、なんも見えねえじゃねえか!


 山頂の狭い駐車場?に、やっとたどり着いた。やがてバンも到着し、降りてきた坂上カメラマン「何にもみえないじゃん!」。同じことをクチにする。
 送信所のようなNHKの白い建物の横に通路がある。そこを進んでみると・・・・・あった、絶景がぁ。






宮古市を一望。 [フォト:坂上]





 たしかに絶景だ。真っ青な入り江の向こう側に宮古の街並み、そして遠くは岩手県の数々の名峰が見わたせる。こんな絶景なのだが他に観光客は誰一人いない。ま、当然だろうね、あの未舗装路を見たらほとんどのクルマは引き返すだろうから。

フォト:坂上
 さて戻ろう。が、ふっと思う。未舗装ダートの登りはまだいい。スロットル調整で、開けてれば前に進むから。しかし下りはエンブレとリアブレーキ調整のみ。フロントを掛ければソク転けるだろう。おっかねえんだ、これが、、、と山を下る。
 途中にあった急勾配のヘアピン下り、頼むから、お願いだから対向車なんぞ来るなよ・・・来るんだよな、ダンプが・・・「ウッワァ、ちょっと待ったぁ!」、ダンプは急勾配で停まってくれた。「セーフ」。

 「カ~ン、ガンッ、ガリッ」と音がする。マフラーが石に当たっているのだ。下り坂ではそんな岩や石を見つけても即座に針路変更できない。しかしだんだん慣れてくると、かつてオフロードでもスーパースター(自称)だった私は、リアタイヤをスロットルで滑らせて曲がる。このほうが走りやすいのだ。


未舗装ダートを抜け、アスファルトの道を走る。なんと快適なのだろう。


たま~に海が見える。地図では海沿いを通る県道だが、たま~に。


カーブではミラーに草木が当たる。



45号線に向かう県道41号線。直線よりカーブのほうが圧倒的に多い。


クルマどうしのすれ違いは、やや困難。とはいえ対向車はほとんど無し。


コーナリングは愉しいひと時。


ウリァー! 対向車来るなよっ、サルも出るなよっ、それより写真撮るなよ、か。

 未舗装から県道の舗装路に出てからというもの、行けども行けども曲がりくねった細い県道を数十分走っただろうか、その間40数キロに信号はなく、少々疲れてきたところで、突然穏やかな海に出る。ここで休憩。やがて坂上カメラマンとカミさんを乗せたバンが10分ほど遅れて到着。


カキやホタテの養殖が盛んな、穏やかな山田湾。



 休憩がてら、ついでに来春用HPおよびカタログの撮影をしてから出発する。震災など、まるで何事もなかったように穏やかな山田湾を左に見て快走するが、ちょっと先に進めば、まだまだ震災の爪あとがいたるところに残っている。


県道は寸断され、迂回路として陸側を走る。この辺は手つかずのようだ。
もう6月上旬なのに“こいのぼり”。そういえば、あちらこちらに。ここはプレハブの仮設住宅地。






陸中山田にて。


国道45号線に合流、釜石まではもうすぐ。。



またちょっと寄り道。


 津波で住宅が流され、それが確認できるほど見わたせる街、山田町を走っている。ツーリングマップルを見るとすぐ近くにJR陸中山田駅があるはずで、ちょっと寄り道して向かう。
 国道を右折して道なりに走ったら行き止まりの段差がある。あれっ、駅はどこだろう、と止まったら、なんということか、ゼファーを止めたところがホームだった。


たしかにホームの跡である。

 あるはずの線路がないので、一瞬気づかなかったのだが、それにしてもなんにもない。
 陸中山田駅は津波の直撃を受け、さらに火災に見舞われた。現在はガレキの処理をしてこのあわれな姿となっていた。
 十数分前にカキやホタテの養殖イカダが並ぶ波穏やかな山田湾を見たときには、「復興が進んでるんだなあ」と思ったが、それは吹き飛んだ。

 ・・・・・むなしい、、、。



 国道に戻り、山田町のはずれを走っていると、1階部分が津波でボロボロになった3階の家が建っていた。その2階には、あのクルクルと回っている床屋さんの目印・・・確かにクルクルと。こんな姿の建物になっても、頑張っているのだ。もしも一人旅なら、散髪してもらうのになあ、と思っただけで通過した自分、申し訳ない。






「よってったんせぇ」、ハイそうします。

修復されて快適な国道45号。


多くのこいのぼり、気になる。



まだそのまま、の箇所も。


国道を右折して立ち寄る。


 JR山田線に“吉里吉里(きりきり)”という駅がある(現在不通)。以前から知った駅名だが、興味があったのでその駅を目指す。するとそのすぐ直前に、たくさんの“こいのぼり”と “のぼり旗”が国道から見える。食い物屋かもしれない。昼をちょいと過ぎて腹も減ったのでその場所へと向かう。そこは仮設食堂だった。その名は “よってったんせぇ”(「どうぞおお寄りください」の意)。


麺類以外にご飯ものもあり。カレーライスは300円!である。

さっそく注文。



テラスで食うラーメン。

 坂上カメラマンは300円のラーメン、カミさんは500円のちょい辛ラーメン、私は400円のわかめラーメンである。素朴ではあるが、その値段で見事な味、美味しく頂いた。
 そしてもうひとつ旨いものが、、、それはここのスタッフのおバアちゃんが作った“茎(くき)わかめの漬物”(無料)。ラーメンといっしょに食うと嬉しい味だ。ほんとうに旨かったので、我ら声を出して「旨いっ!」と言ったら、奥にいたおバアちゃんはニコニコして出てきた。
 「どちらから来られたの?」 「東京です」 「あれまあ、そんな遠くから。仕事で?」 「いや、ほとんど観光です」 「わざわざありがとうねえ」・・・そんな会話をした。

 この地域、大槌町(おおつちちょう)吉里吉里地区もまた大津波で壊滅的にやられた。そして漁業が中心だった住民の多くは職を失った。そこでワカメ加工場を流された女性漁業者が中心となり、震災の翌年、プレハブの食堂 “よってったんせぇ”を始めたのである。強いなあ、女性は。


 我らが食い終わると、スタッフのおネエさんとおバアちゃんは遅めの昼食、ラーメンを食べ始めた。
 「ごちそうさま」と言って店を出て、ヘルメットをかぶり、バイクにまたがろうとしたその時である。おバアちゃんが小走りでこちらにやって来た。その手に小さなお菓子を3つ持って。
 「これね、今夜の宿で食べてね。それと、気をつけて帰らないとだめだよ、安全運転でね。来てくれてありがとね」・・・無性に嬉しかった。目が潤んで「こちらこそありがとうございました」と応えるのがやっとだった。東京から来た我らが気を使わないといけないのに、逆に気を使わせてしまった・・・・・おバアちゃんの食いかけのラーメン、伸びてしまうのに。いやいや、少々伸びたって旨いのだ、“よってったんせぇ”のラーメンはね。






わかめラーメン、すんごいワカメの量、これで400円だぁ!。
そして特別に旨いおバアちゃんの茎わかめの漬物。
[フォト:坂上]



300円のラーメンだってワカメ入り。



おバアちゃんからの嬉しいお土産。





“よってったんせぇ”は国道45号の山側。吉里吉里を通ったらぜひ寄ってみよう。


※吉里吉里とはアイヌ語のキリキリ:白い砂を意味するという。






嬉しい吉里吉里、そして悲しい吉里吉里。

JR山田線 吉里吉里駅

ホームの前はどなたかが雑草を取り除いているが、そのはずれはご覧のとおり。




列車の走る線路は、上部がキラキラと輝いているものだが、、、。
 “よってったんせぇ”の仮設食堂からバイクで30秒程度のところにJR山田線の吉里吉里駅がある。少し高台にあるため、小さな駅舎もホームも線路も無事で、ご近所の方が手入れしているのだろうか、ツバキの花が咲き、いまにも列車が来そうな気配である。が、しかし、、、その線路をよくよく見れば、完全に錆びている。そしてその錆びた線路の上には雑草がかぶさり、列車が通っていないことを物語る・・・むなしい。

 JR山田線の復旧のめどはまったくたっていない。ではなぜ復旧できないかと簡単に説明すれば、復旧費用の問題がある。三陸鉄道は赤字路線なので国からお金が出るが、JR東日本は黒字なので、自分のお金で直せ、ということだ。しかし会社自体は黒字でも、山田線は大赤字路線なのだ。そこに数百億円(いやそれ以上か)の投資はできないのである。しかも高架橋やトンネルが多い三陸鉄道よりもずっと古くからある鉄道で、海岸沿いを走ることが多く、そのため被害は大きい。・・・というのは理解できるのだが、住民のために復旧させる方法はないものだろうか。
 








いつまでたっても列車は来ない。踏切も鳴ることはない。草木が生い茂る向こう側の線路はどうなっているのやら・・・ [フォト:坂上]







吉里吉里駅を見つめる筆者 [フォト:坂上]



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