2009年4月29日 その2


 五稜郭に着いた。この星型をした城跡はヨーロッパの様式で江戸時代末期、もう明治になる2年前に完成された。そして明治元年の函館戦争が起きるわけだが、その話はあとでちょっと話そう。
 私が北海道に来たのは確か8度目だと記憶しているが、この五稜郭には一度も訪れておらず、今回が初めてのことだ。
 五稜郭の入り口には、鯉のぼりを掛けた高さ107mの五稜郭タワーがお出迎え。駐車場はその前、今日は祭日とあってクルマの渋滞はひどく、当然ながら満車。といって弘前城跡周辺のように、バイクの駐車はダメなんだろうと考えていたら、交通整理のオジさんが手招きして隣接の公園に誘導された。「バイクはココ。えっ? 無料だよっ」。五稜郭のドまん前、1等席の駐輪場だぁ、函館市、素晴らしい。


五稜郭の堀、デカイ!

 五稜郭には桜巡りでやって来た。なのに肝心の桜はまだほとんど桃色のツボミだらけ。
 開花宣言は東京を出る前の日、4月26日に出されていた。その情報では満開日は30日。今日は29日だから満開に近い状態を期待していた。その時は。
 弘前城跡が予想に反して満開だったのは、寒波がきて低温日が続いたからでラッキー。しかしそのお陰で五稜郭の満開は遅れ、アンラッキー。もう結果は津軽海峡を渡る前から見えていたのだから、この状況にたいした落胆はない。

城内の桜。一部を除いてまだツボミですな。


マンホール。

星型の五稜郭をマンホールのフタで理解してもらおう、というのもナンだから、タワーの上からご覧いただこう。


ブルーシートは気の早い花見の宴会中。


 この城跡は東西、南北ともに600mほど。四角形であってもその一周は2400mもあるのに、星型なのだからいったいどのくらいの距離になるのか(算数できませぬ)。だから一周はしない。

 星型の五稜郭はヨーロッパを中心としていくつも残されている。五稜郭といえば、この函館が有名だが、日本にはもうひとつある。それは長野県佐久市の龍岡城(たつおかじょう)五稜郭だ。ただし函館五稜郭の完成後に着工したら明治になってしまい中止。そのため、外堀は完全なカタチでは完成していない。

五稜郭タワーにある説明図より。

 上記右側の、真ん中に“小”という字があるのが龍岡城の五稜郭。その“小”の示す意味は、城跡の中が小学校だから。そしてその小学校の卒業生が、なんと隣りにいるカミさんだぁ。(もうちょっとだけ広い範囲の写真なら、カミさんの実家、そして弊社“あさま工房”が写っているのだが。。。)

長野県佐久市 龍岡城五稜郭
函館五稜郭のミニチュア版といった龍岡城五稜郭。カミさんいわく「昔はこの堀でアイススケートをした」。 小さな五稜郭といっても、都会の小学校よりだんぜんデカイ校庭がすっぽり収まる。


 ということで五稜郭には親近感が沸く。そしてもうひとつ、親近感というわけではないが、私が気になる、いや、男として尊敬する人物がこの地で没している。その名は新選組 副長 “土方歳三”!
(きっとどなたか 「どかた さいぞう」 と読んではないだろうか? 「ひじかた としぞう」 なのだ!)

カッコいい男である。今風に言えばイケメンか。

 新選組が京都で悪さをしただのしないだの、という説はおいといて、幕末の頃、薩摩・長州の新政府軍と戦った旧幕府軍の新選組。しかし劣勢このうえなく、仲間は次々と戦死する。局長の近藤勇は処刑され、幕府は降伏、それでも誠の義を重んじる土方歳三は函館にたどり着き、最後の決戦を行う。これが戊辰(ぼしん)戦争の最終局面の函館戦争。
 負けると分かっていても戦うしかなかったのであろう。サムライ魂を持ったニッポンの最後の武士の姿ではなかろうか。

江戸時代末期からの戦いの武器は大砲が主力。弓矢・鉄砲に防御有能な星型の五稜郭でも、大砲には無力であった。土方歳三が戦死後、戦艦からの集中砲撃で旧幕府軍はついに降伏。


 満開の桜は見られなかったけど、土方歳三(の銅像)に会えたので良しとしよう。気分よく今夜の宿、湯の川温泉に向かう。また市電と並走しながら。


湯の川温泉 漁火館(いさりびかん)


宿のまん前は海。



駐車場も海の前。(バイクにとって潮風が気になるが)

 函館市内の湯の川温泉は近代的なホテルが並ぶ、比較的大きな温泉街である。あの土方歳三も浸かったといわれる宿の湯もあるらしい。近代的、というのを好まない私は、湯の川温泉の端にある小さな1軒宿“漁火館”に泊まる。
 部屋に入るとお決まりのビール。この一杯がなによりの楽しみ。これが暑い夏の頃なら100倍旨いが。そしてほどなく宿自慢の温泉に浸かる。






 風呂には先客がおられた。近所の者だというそのオジさんに温泉の話を聞くと、
「あっちの大きなホテルの湯は透明な感じでねえ、でもここの湯は濁ってるでしょっ。近くなのになんでそうなのかは分からないけどいい湯でしょっ。お湯はドバドバ出てるし・・・」
 ドバドバというのは、ここは湯量が多い源泉掛け流しであるから。いっぽう、近くのホテル群の湯は循環式が主流のようだ。その辺のことは宿探しのときに調べをつけている。温泉ツウではないけれど、やはり循環式より掛け流しを選ぶ。
 長湯をしない私だが、30分以上経っても、まだカラダがポッポ、ポカポカといった状態。なにかと濃い源泉のようだ。
 午後6時、この宿の指定時間のメシ。部屋食ではなく食堂だが、でっかい窓の向こうは海である。


 会席料理といった感じで北海道の海の幸がつぎつぎと運ばれる。どれを食っても旨い。そして窓に目をやれば海。それもその味のスパイスになっているのだろう。なお、6月のイカ釣り解禁になれば、この宿の名の元、光りを灯した漁り火船が夜の海に浮かぶ。その光景も見たいものだが、ひと月ほど早かった。

料理はこれで全てではない。

 温泉良し、メシ良し。でもひとつ気になったことがある。この宿のホームページだ。
 料理の食材ページで、函館市戸井漁港で水揚げされた津軽海峡の本マグロ、その大トロ・中トロが掲載され、「戸井の天然本マグロをはじめ・・・味わえます」と書いてあった。マグロ大好物の私、津軽海峡の本マグロといえば、青森県大間(おおま)が有名だが、漁港が違うだけで同じマグロ。そんな高価なマグロがほんとうに食えるのだろうか、と半信半疑で期待したが、テーブルに出てきたのは、ごくフツーの赤身のマグロだった。
 まあ宿に代わって言い訳すれば、津軽海峡の本マグロの漁は7月から翌年1月と、今回は漁期から外れているので仕方がないだろう(漁期宿泊の場合、あの写真の本マグロが出るのかは不明)。それに「冷凍モノいっさい無し」と記載されているのでうなずける。でもねえ、冷凍でもいいからHPの写真のような津軽海峡の本マグロ、食いたかったなあ〜〜〜。
 ・・・マグロの件以外は、この宿、お薦めします。。。

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