2008年8月13日

 紀行文を始めるにあたって何故今回、歴史旅と称したツーリングに行くか?ということについて説明しよう。そもそも僕はツーリングが大好きだ。バイクに跨り、目的地へと気ままにバイクを走らせ、美しい景色を眺め、美味しい物を食べ、様々な人と出会う。最高に贅沢な遊びの1つであろう。そして同時に歴史好きでもある。特に戦国、幕末は欠かせない。乱世で活躍した男達の生き様ほど見ていて気持ちのいいものはないからだ。そして幸い日本全国には由緒ある城址や建物が数多く残っている。ならばツーリングでそれらを訪れていけばツーリングと城巡りを同時にこなせて一石二鳥ではないかと思った次第である。そして今回、関東近郊である信州上田城に白羽の矢が立ったという訳だ。
 上田と来れば真田氏は欠かせない。なぜなら、上田城は真田氏の居城であり真田氏は筆者が好きな戦国武将の1人でもあるからだ。理由は追って説明するとしよう。

筆者:キムラ トモヤ

 今回ツーリングに同行するのがホームページでもお馴染みのユウさんとダイスケさんの2人。この2人とは大学のサークルでの先輩という間柄かつ、三橋のオヤジさんとも親しいため(ユウさんに至っては親子)、今回ツーリング同行を任命された模様。
 どうせ行くなら1人より2人。2人より3人。人数が多ければ多いほど盛り上がるってものだ。しかしこの2人、歴史に興味なしと来たもんだ。さぁ如何にしてこの2人に歴史の面白さを伝えようか。

 ここでちょこっとだけバイク紹介。僕が乗るのは純国産アメリカン、バルカン900クラシック。旅をしている感じが1番しっくり感じられ、そのデザインに惚れてからというもの、去年の夏、死に物狂いになってバイトで金を稼ぎ、既に冬近し11月に購入した愛車である。しかし余りにも働きすぎたため10kgも痩せてしまったことも今となってはいい思い出である。サークルで唯一のアメリカンなため、峠では置いていかれ、カスタムの話もいまいち合わないと日陰者街道爆走中である。
 そしてユウさんのバイク。(正確にはオヤジさんの)赤い車体にBMWのマークが眩しい。この他にも多数バイクを所有しているのだから羨ましい限りである・・・。
 同じくBMWを操るのはダイスケさん。こちらは最新モデルであり、バルカンが何台買えるだろうかとついつい計算してしまう。しかし学生が買えるシロモノではなくこれまた父親である単車オヤヂさんから借りてきたものだそうだ。眺めているだけでも目の保養になりそうだ。将来こんな外車に乗ってやるぞ〜!と思いながら国産アメリカンを走らせる毎日である。(ペアスロープのテーマ、「国産」とずれているが気にしない)

左から、ユウ、ダイスケ、筆者キムラ

 ツーリング当日の朝、3人ともそれぞれの実家に帰省していたため新潟、群馬からそれぞれ最初の目的地佐久市を目指すことに。出発前、ちょうどお盆の帰省ラッシュと重なって軽井沢辺りが軽いパニックになってるかなぁ・・・と予想していたのだがいざ軽井沢に来てみると渋滞なんぞどこ吹く風。若干車は多いものの順調に、むしろ予定より早く佐久に到着。
 原油高による車離れを実感しつつ、高速代の精算を済ませているとはるばる新潟からやってきたダイスケさんと奇跡的に合流。(ここに来るまでに既に200km弱走ってきたらしい。。。お疲れ様です!)
とりあえず、佐久ICの目の前のおぎのや(横川の“峠の釜飯”で有名)で朝食を取りつつ既に現地入りしているユウさんを待つことに。 ※しかし横川は、群馬と長野のちょうど境目である軽井沢の峠を下った先、佐久で購入したこの釜飯は正確には峠の下の釜飯ではないのか!?
 この釜飯食べたことのある人はご存知かと思うが、栗やアンズなどちょっと変わった材料も入っている。僕はこのアンズがどうにも苦手で食べるときはいつも一飲みにしている。。。 だけど味は確か!皆さんも群馬に立ち寄ったときは是非ご賞味あれ。容器はそのまま持ち帰り可能ってのも面白い。(特に使い道がある訳でもないが・・・。)

峠の釜飯。さりげなく群馬県産である。 新潟・群馬からは渋滞なしでも、東京からは高速入り口から大渋滞だったと聞く。




 釜飯で腹を満たした後、ユウさんと合流し今回のツーリングの出発地点である佐久市内旧中仙道沿いの日本酒蔵元、武重(たけしげ)本家酒造へ向かうことに。
実はこの蔵元、ペアスロープ秋のカタログ撮影に使用された場所であり来るのは今回で2回目。今回は入り口の写真のみで、歴史を感じさせる趣のある外装や内装は秋のカタログにてその真価を発揮している。秋のカタログ是非是非お楽しみに!(ちゃっかり僕らもモデルとして登場していること、頭の片隅に留めておいてもらえると幸いです。)
 趣のある白塗りの壁はあたかも江戸時代のようで、アスファルトの地面と電柱がなかったら本当に勘違いしてしまいそうだ。しかし、この落ち着いた雰囲気。日本に生まれてよかったなぁと思う瞬間でもある。

武重本家酒造正門;この道路は旧中仙道


※写真提供:HP編集部。プロの写真のレベルは我らとちがう。


 聞いたところによると何やらこの蔵元さん、開業が明治元年であり、奇しくもダイスケさんとキムラは明治大学の学生。同じ明治って所に共感を覚えるような覚えないような・・・。だが日本酒に共感を覚え、美味しく頂けるようになるのはまだまだ先のようである。それまではひとまずこの酒造の雰囲気だけでも味わい、その歴史の歩みに酔わせてもらうとしよう。

 ところで炎天下の中バイクに乗っていると大量の汗をかく訳で、途中コンビニで休憩を取らないと体力が持たない。大学生のツーリングにコンビニは良く似合う!と思っているのは自分だけ・・・?いや、ただ単に金がないだけか。。。




 そうして真夏の日差しを浴びながらリンゴ農園の間を走っていくと目的地である上田市に突入。上田市はご存知の方も多いかと思われるが戦国大名真田氏発祥の地。市内のいたる所で真田関連の物が見受けられた。「真田家の家紋、六文銭(ろくもんせん)。」(死者が三途の川を渡る時の渡り賃とされ、真田の武士はこの六文銭を掲げることでいつでも死ぬ覚悟は出来ているということを示した。と言われている。)
 現代の感覚で言うと5円玉を6枚並べているようなもんだ。しかし、6枚並べても30円ぽっち。もうちょっと払うから三途の川は渡りたくないもんだねぇ。(バイクで遊んでばかりいるこんな若者が天国に行けるかどうかはともかくとして。)


 上田城に行かずして真田の何が語れるか、ということで一向はまず上田城へ。この上田城、戦国時代きっての知将真田昌幸(まさゆき:あの有名な真田幸村ゆきむらの父)に築城されて以来、戦上手で名高い徳川軍を2度に渡って撃退したという天下に名高い城である。特に第二次上田合戦では関ヶ原に向かう徳川秀忠(徳川幕府第二代将軍。つまり家康の息子)を真田昌幸、幸村親子がここ上田城にておよそ20倍もの兵力差の中、足止めし、秀忠を関ヶ原の戦いに間に合わなくさせるという活躍をした。
 少数の軍で大軍を破る。これほどカッコいいものはないねぇ。それが徳川軍相手なら尚更ってもんだ。

 現在、当時を思わせる遺構は多くはないが、緑輝く桜並木の間に当時と変わらないであろう蝉の声が多く響いていた。城の周りをぐるっと囲む堀。春には桜が見事だろう。是非とも春にもう一度来てみたいものだ。

堀は春に満開の桜の花びらで埋まる。

奥の蝋人形は昌幸、幸村、大助(幸村の息子)と真田氏3代が並ぶ。

六文銭知恵の輪くぐりに挑戦。・・・狭い!


真田十勇士の面々。一番有名なのは猿飛佐助か?

真田氏の女性が使ったとされる駕籠。自分が乗るにはいささか小さすぎる。

真田神社でお参り。六文銭と同じく穴の開いた5円玉を入れることにした。


木にひっついていたクワガタと蝉の抜け殻:今や地元の群馬県でも中々見るのは難しくなったクワガタ。一時の間、城見学を忘れ昆虫採集に熱中する3人。偉大な野生の力の前には如何に歴史ある城より虫なのである。

上田城前にて真田にちなんだカキ氷屋「ろくもんせん」にてカキ氷をほお張る3人。イチゴ、ブドウ、レモン・・・とカキ氷の定番の味が並ぶ。暑い中、キンキンに冷えたカキ氷はたまらなく美味しい!しかしこのカキ氷屋、カキ氷だけで採算は取れるのだろうか・・・いやきっとこれだけ暑いのだからバカ売れに違いない。って、大きなお世話か。。。


 しかしカキ氷だけでは腹が満たされることはなく、市内の蕎麦屋へと繰り出すことにする。武士ではないが「腹が減っては戦は出来ぬ」とはよく言ったものだ。
 最初に目をつけた「刀屋」は既にペアスロープの今年度春のツーリングで訪れていたので今回は同市内にある「草笛」というお店に決定。
 入ってみると既に1時を回っているのに外にまで待ち列が伸びていた。。。名前を書くと何やら自分は15番目らしい。この繁盛っぷりに自然に蕎麦への期待も高まるってものだ。そして出てきたのはボリュームたっぷりのもりそば、とろろそば、山菜そば。400gとたっぷり盛られていて中々食べ応えがありそう。むしろ食べ応えがありすぎて食べるのが大変だったぐらいだ。
 気になる味の方は、カップラーメンにお湯を入れ2分で開けてしまう程の固麺好きのキムラ好みのかなり硬い麺で噛み応えがあり、麺の太さがバラバラなところもそんなに気になるところではないだろう。腹が減っていたこともありどんどん箸が進む3人。
 確かにうまいのだが、正直どこがどううまいのかよくわからない。普段から頻繁にそばを食べている訳ではないし、比較することも出来ずただなんとなく、うまい!と言うしかない。。。うまいもんはうまいんです。感覚的にでもうまいと感じられればそれでいいんじゃないか?ってことで味に期待していたみなさん許してください。学生の味覚、こんなもんです。。。


 満腹になった後はちょっと寄り道して上田駅前へ。駅前に何があるかというと・・・、真田幸村の銅像である。
 ちなみにこの真田幸村、“幸村”という名は江戸時代以降、小説や講談で多用された俗称で本来の名は真田“信繁”(のぶしげ)と言う。その由来は真田家が仕えていた甲斐の虎、武田信玄、その弟である名将武田信繁にあやかって名付けられたらしい。ただここではわかりやすいために幸村で通すことにする。何よりそっちの方がカッコいいしね。(そんな理由でいいのか。。。)
 そして名前よりもカッコいいのがその苛烈な生き様である!彼は生涯、徳川家康に敵対し続けた。また、上田の戦い、大坂冬の陣と常に少数の兵で大兵力を擁する徳川軍を相手にして勝利を収めている戦上手であり、もし生きていたら・・・と想像するだけで楽しい。(歴史に「もし〜」、「〜たら」は禁物だが)
 その最期は大坂夏の陣にて徳川家康本陣に何度も突撃を繰り返し、あわや家康本人の目の前というところまで迫り、その攻撃の苛烈さは徳川家康本人に自害を覚悟させた程激しかった・・・という。その後、幸村は力戦虚しく自害して果ててしまうのだが、その生き様を称えて「真田、日本一の兵(つわもの)」と後世呼ばれていく・・・。
 自分の信念を信じて、歴史の覇者に抗い続ける・・・これほどカッコよく男らしい生き様は他には新撰組副長土方歳三(ひじかたとしぞう)ぐらいしか思い浮かばない。(こちらもあまりにもカッコよすぎてここで書くにはスペースが少々足らない・・・。)
 誰かが言った。「桜は散るからこそ美しい」。武士も同じではないだろうか。散るからこそその生き様が際立つ。これこそ、筆者が真田、引いては歴史を愛して止まない理由である。。。これぞまさしく男の美学であろう。日本男児たる者こうありたいものだ。

真田幸村の銅像:ちなみに本日の気温。37℃だと!?道理で暑い訳だぁ・・・。

 猛暑の上田を堪能し佐久に帰る途中、おなじみの花火屋に立ち寄る。ペアスロープのホームページで何度か見ていたとは言え実際に見てみると大層な数の花火に目を輝かせる3人。夏にはやっぱり花火は欠かせない!ってことで、ユウさんとダイスケさんペアがジャンジャン買い込むもカゴの中にはトンボ花火の数々。定番の手持ち花火や打ち上げ花火をチョイスしないのもどうなのであろう?とは言う自分も落下傘なんてモンを買い込んでいる辺り、中々の邪道っぷりである。要は楽しめればいいのさ、と変に納得して再び帰路に着くことに。






 先ほどから全国でもピカイチの晴天率を誇る佐久の空の雲行きが怪しくなってきた。途中、コンビニで突然の大雨をやり過ごしたがこういうのも夏らしくてたまにはいいだろう。
 しかしこの雨、寄り道ついでに寄った蓼科スカイラインを走っているときから本格的に降り始め今夜の宿に到着する頃には本降りとなってしまった。結局、先程買った花火をすることは出来ず、この日の夜は我らのためにわざわざ差し入れを持ってきて頂いた三橋のオヤジさんを含めた4人でオリンピックを見ながら即席のキムチ鍋と馬刺しで乾杯することになった。オリンピックは野球、初戦の相手は強豪キューバ。結果は力戦虚しく負けてしまったが、異国の地で日本を代表して戦っている選手達、特に自分と同い年の楽天、田中選手の気迫からはこのオリンピックに賭ける熱い想いが伝わってくるような気がした。環境は違えど同い年。色んな生き方があるもんだ。 こうして佐久の夜は更けていく・・・。

爆睡ダイスケ殿。。。

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