2008年7月21日


 初日は海岸沿いばかりを探索した。確かに透明度が高い、綺麗な海ではあったが、身体を180度方向転換して山の斜面を見れば、過去に起こった数々の噴火の形跡がいやでも目に入る。二日目は山に入ってみることにしよう。
※規制区域の立ち入りにあたっては、事前に三宅村役場に許可書を頂いております。危険区域・高濃度地区の写真を掲載しますが、一般観光はできません。あらかじめご了承願います。



1983年の噴火で、海まで達した溶岩流。ここには400戸あまりの民家が埋没している。下の写真は溶岩に埋もれた小学校。[阿古地区:チャレンジ三宅島イベント、メイン会場あたり]




同じ場所から山を見れば、白樺林? いやいや、その木々のほとんどが火山活動によって枯れている。緑の部分は草ばかり。



2000年の噴火で埋没した椎取(しとり)神社。手前は鳥居のてっぺん。
 外周道路だけでも、あちらこちらに1983年噴火の爪あとが残っている。特に山から海に向かって流れ出た溶岩が、こう言っては島の人々に失礼だが、豪快な様相だ。
 対して全島避難の2000年の噴火は、溶岩流よりもいまだに島民を悩ませ続けている火山性有毒ガス。これは目に見えないだけに、さぞ厄介なものだろうと察する。






 今朝、宿で朝食をとっていた時に大音量で聞いた屋外スピーカーによる火山ガス警報アナウンスでは、「レベル1」。宿のオバちゃんによれば、今日は東よりの風でそのレベルなら問題ないよ、と話してくれた。
 我々は“規制区域立入許可書”を持って、島の南側斜面の林道からレンタカーで山に入った。
 数分も登らないうちに、身近にある木々、それは無残にも立ち枯れている。もうほとんど全ての木々、といってよいだろう。そして阿古地区と同じように、もの凄い量の溶岩が山から海に流れ出た様子がうかがえる。
 クルマから降りてみる。 ・・・宿では騒がしいくらいのセミも、鳥の鳴き声もない。チョウやトンボも飛んでいない。これが火山性ガスの驚異であろうか。




立入禁止限界ライン。




 立入禁止区域のギリギリまで来た。噴火前、村営牧場だった面影はまるでなく、もう廃墟と化している。登ってきた途中までは草の緑が目についたものの、ここはモノクロームの世界だ。こんな光景は日本中探してもないのじゃなかろうか。
 大自然の驚異を目の当たりにした2日目であった。


 山を下りたら、すでに昼近くになっている。すかさず松下がケイタイで誰かに電話をしている。「昼飯、どっか旨いとこないかな?」昨日にひきつづき地元情報で探る。とりあえずは昨日のお祭りの神社で、青年団がお疲れさん会をやっているというので顔を出すことに。

「あまっちゃってるから、弁当持ってきなよっ」、「えっ、いいの、アリガトォ」。「で、今晩、どこの飲み屋にいる?」、「今夜は俺んちで打ち上げ。あっ、その前に港で送り太鼓たたくから来てよね。それで夜は俺んち、来なよ、みんな集まるから」・・・弁当は頂いたものの、さすがに部外者がぞろぞろと“俺んち”、は遠慮しました。


 運良く弁当を頂いた。そして同時にここで村役場Aさんのバイクを借りに行く。スパーダ・・・古いけどよく走るホンダのVツイン250cc、それは小屋の屋根下にキーをつけっぱなして置いてあった。おそらく誰〜れも盗むヤツなんぞいないのだろう。もし盗んだって島から無事に出られないのだから。。。
 これから先、スパーダは娘が乗るはずだった。しかしサンダル。しかたがないので私が乗って、弁当とともにレンタカーを従えて浜辺に向かう。潮騒を聞きながら、まったりと弁当食おうって寸法だ。

松下:「へぇ〜そんなカッコして乗るんだ! サンダル?短パンにTシャツ? あれ、グローブもないの? いいのかなぁ〜ウェアメーカーがぁ!」 筆者:「しょうがねぇだろ、宿に置いてきちまったんだから!」・・・こんなとこ撮るんじゃねえよ、カメラマン!


 島でいちばん広い大久保浜海水浴場で、ボリュームたっぷりの弁当を食い、港に向かう。で、途中にあるワインディングロードが気持ちいいんだ。舗装はいいし、ほとんどクルマはいないし、ちょっとだけスロットルワイドオープン! ウェアメーカーとして、どうしょうもないカッコで走ってるんだけど、すみません。でも転けたら痛いだろうなあ、このカッコは、、、。(オーナーのAさん、フロントブレーキ、ぜんぜん利かないよ。ブレーキパッド、ないんじゃないのかなあ)




つい先ほどジュース飲んで、立て続けにガリガリ君、の松下。ガリガリ君の基本はソーダー味だろがぁ。ちがうか、えっ?
 阿古地区の港では、東京竹芝桟橋に向かう大勢の人々が、かめりあ丸に列を作って乗船している。その横で交代交代、延々と太鼓の音が響きわたる。客船がのっそりと岸壁から離れ、お別れの紙テープが舞う。本土の皆さん、サヨウナラ〜 って手を振って、一瞬地元民のふりをしてしまった。
 船を見送ったら、松下がおみやげ屋に行こうと言いだす。なんだか知り合いらしい。(島にどれだけいるのだ?知り合いがぁ)
 港近くの沖倉商店に入った。酒から日用雑貨まで販売しているなか、オリジナルのお土産も作っている。松下がジイさまに挨拶すると、「わざわざ来てもらって、みなさん、さぁ〜冷たいジュースでも飲んでってくださいな」 店内の冷蔵庫から我ら5人、それぞれ飲み物(商品)を頂いた。そして明日は帰るのだからと、ついでにそれぞれお土産を買う。私はこの店オリジナルの染物Tシャツをチョイス。


 「今日も暑いなあ」「そのようだなあ」「こういうときは、やっぱ海だよなあ」「そうだなあ」・・・ということで昨日に引き続き、また海中の探索をすることに決定。こんどは島の南西に位置する富賀浜に向かう。この浜も昨日電話した三宅島出身I君からの情報である。


 浜、といっても砂浜とはほど遠い、でっかい石がごろごろした海岸。事前の情報では魚がたっぷりいるのだと聞いていたが、誰〜もいないではないか。島の観光協会の案内では海水浴場と謳ってないけど、ほんとに泳げるのか、ここ。。。
 駐車場にウエットスーツを着た、海から上がった直後らしいオッサンがいたので聞いてみたら、綺麗な海だよ、ここは!とのこと。少し安心して決行する。

歩きにくいったらありゃしない浜だ。 派手な松下、入水開始!

 早々に着がえて海に入る。今日の水温はあったかい。そしてほんの10m泳いで水中メガネから見た水深3〜5mの海の中は・・・スゲェー!、、、もの凄い数のサカナが群れをなして泳いでいる。昨日の長太郎池もたくさんのサカナがいたが、ここのはみな大きい。しかもサンゴも点在していて、目を楽しませてくれる。松下もスゲー!の連発で泳ぎまくっている。

 さて、昨日からまったく海に入らず、ポツンと一人ヒマそうにしてる坂上カメラマンはと言えば、ビールを飲みながら岩やら石やら海やらの写真を撮っている。つまんなそ〜に。




坂上修造カメラマンの激写その1:“お〜い、なんか獲ったどぞ〜!”





坂上修造カメラマンの激写その2:“潮騒に生きる”





坂上修造カメラマンの激写その3:“松下のおたけび”(下半分は見苦しいのでカット)



 海をたっぷり堪能した。昨日同様、ふるさと温泉でひとっ風呂浸かって、さあ晩飯、さあどこで食おう。
 ほんとうは宿で食えるのに、今晩、青年団の方々と合流しようなんて松下が計画してたんで、宿の夕飯、キャンセルしてしまった。オバちゃん、寂しそうな顔してたなあ。
 松下がまたケイタイで島の知人から飯屋の情報を聞いている。(そればっかし) 「えっ、京ちゃん? 焼肉屋?」、なんで海に囲まれた三宅島に来て焼肉なのか。でも島の人のお薦めなのだからと、その店に向かう。


港から10キロほど離れた、焼肉“京ちゃん”。 これまたビールが旨いのなんのって。そして肉は?


 結論から言おう・・・恐るべし、焼肉 京ちゃん! ほんとに旨いのである。
 現在、この島に牧場があるわけでなく、東京などとはちがって競走相手もさほどない島の焼肉がこれほど旨いなどとは想像していなかった。これなら東京の激戦区でも勝負できる味であろう。焼肉をツマミにビールもジンロも野郎3人しこたま飲んで、また危なっかしいカミさんの運転で宿に帰る。「オバちゃ〜ん、帰ったよぉ〜。ちょっと焼酎一杯飲ませてくんなぁ〜」、昨晩と同じパターンなり。



 オバちゃんは、さぞ俺たちに夕飯を食ってもらいたかっただろうなあ、申し訳ないことをしてしまった。ここはビジネスホテルじゃないっつうの松下ぁ!
 食堂で焼酎を飲みながら、島のあれこれをオバちゃんから話を聞く。そのさなか、昼間に入ってきたのだろうか、セミが飛んでいる。やがてカーテンにとまり鳴き出すと、2匹、3匹がつられて大合唱。「ウルセェー、何時だと思ってんだぁ! 今オバちゃんと話をしてんだから黙りやがれセミ野郎!」 てな感じで、セミも俺たちもウルサイのなんのといった最後の晩でしたぁ。。。



なんだぁ?こりゃあ顔みたいな虫だなぁ。食堂のイスにて。


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