2008年11月22日


 もの凄く気温の下がった朝、しかし真っ青な空のもとをカミさんとのニケツで昨日の夕刻に来た道を戻る。凍っているかもしれない路面を気にしながらも、晩秋の紅葉がところどころに残っており、目を楽しませてくれる。せっかくの景色だから、後ろのカミさんに走行写真を撮らせる。

逆光(太陽に向けて)で撮ると日陰部分は真っ黒で紅葉の色は見えないのだよ。残念ながら。


トンネル内の走行写真に挑戦するも、結果は無残。しかしこれはこれで面白いアングルではあるが。


 トライアンフ タイガーは津山駅に向かっている。あらかじめ申し上げるが、またさらに濃い“鉄”のページになりそうだ。
 1番線(1ページ目)で鉄道編は終えたんじゃないかって? まだしつこくやるの? バイクと鉄道って何の関係があるの?、、、これがあるのですわ、カワサキつながりでね。 じゃあトライアンフは?、、、日本の鉄道の始まりは英国を学んだ。その英国車トライアンフで鉄道の聖地を訪ねる。とこういったわけでね。まあこじつけだけど全て真実だよ。

 なおいまさらなんだけど、“鉄”にもいろんな呼び方がある。平たく言えば「鉄道ファン」「鉄道マニア」、そして個人的には呼ばれたくない「鉄道オタク」。少々略して「鉄キチ」「鉄人」もあるが、近年では「鉄ちゃん」が一般的。そして先に述べているが、その女性番が「鉄子」である。私の場合は、さらに略して “鉄”と称している。



津山は鉄ちゃんの聖地である。

ポツリポツリと集まってきた鉄ちゃん達。



津山駅観光案内所で受付。鉄どもがここに集まり予約をチェック。スタッフは駅長とどこぞの“鉄ガキ”。
 津山駅に着いた。そこには何を待っているのか30人ほどの人々が立ち止まっている。そうだった、今日はJR西日本:岡山支社による旧津山扇形機関車庫の無料見学会の日だ。うっかり忘れるところだった。(忘れるわけがない)
 しかしこの見学会は予約制だ。飛び入りは見学できない・・・受付に行って「三橋ですぅ、よろしくお願いしますぅ」、、、おっと、数日前に電話予約していたのだ。これ、あったりまえのコンコンチキだわね。この道数十年の“鉄”が、これを逃がすはずがない。
 「わたしは喫茶店で待ってるから」とはカミさん。なぜだか鉄道にはまったく興味がなく、受付の隣りの交番の隣りの喫茶店に入ってしまった。バイクは交番の隣り隅に置いておこう。ここなら安心だ。(違法駐車かもしれないが、違反キップを切るなど、この津山の駐在さんはぜったいしないと信じている)
 さて、駅長を先頭に、赤ちゃんからジイちゃんまで、男も女もごちゃまぜの鉄ちゃん55名が列をなしてその目的の場所に歩き始める。普段は鉄ちゃんといえども、一般人が入り込めない領域に。


津山駅のホームを後ろにぞろぞろと。



構内には数多くの気動車が休んでいる。しかし私も含めた“鉄”たちは、これらステンレス製小型軽量車両には、それほど興味を示さない。

「ここに積んであるのは列車の使用済みブレーキパッドです。よろしければお土産にどうぞ!」と駅長。これは大サービスのお宝だ。


鉄道職員専用の踏み切りに遮断機はない。渡るには「右よし、左よし」と指差し確認する。と、そのように説明する駅長に、みなその指示に従う。

腕木式信号機が保存、手動式だ。現在は赤・黄色・青の信号機が主流だが、ATC(自動列車制御装置)が進化し、信号機そのものが立ってない路線もある。

じゃあ、お言葉に甘えて、と持ったら重いのなんのって。(新品は15kg) あとでカミさん「なんでそんな鉄クズ持ってくんの!」って言うにきまってるからアキラメ。


 さ〜て、いよいよ皆さんお待ちかねの扇形機関車庫に入るとしよう。そしてそこに保存されている機関車・気動車もごく簡略化して説明しよう。ではぞうぞご覧を。








手前はターンテーブル、奥が扇形機関車庫。




蒸気機関車の方向転換と格納のため、昭和11年に作られた機関車庫、現在は本来の用途では使われていないが、今でもターンテーブルは健在だ。やがて時計回りに動き出すと鉄ちゃんたちの歓声が湧き上がる。

「一周して見事ここにピタッと止まったら拍手ご喝采を」 もちろん正確に止まるのだが、こんなマイクパフォーマンスも鉄ちゃんへのサービス。子供達があまりにも喜ぶので、その後、もう一周回したのである。





扇形機関庫には5両のディーゼル機関車、気動車が保管されている。私の大好きな車両たちである。そしてそれらは偶然にも、弊社ペアスロープ製品に関係しているのである。そのエンジンに注目してほしい。
まずはディーゼル機関車=DLから。ちなみに蒸気機関車はSL、電気機関車はELと呼ぶ。これ、鉄ちゃんの常識。



蒸気機関車(SL)の無煙化の為に、日本国有鉄道により1962年から1978年までの間、649両が作られた幹線用主力ディーゼル機関車。SLを追いやった張本人だが、この機関車は私の好物。現在、こんどは電気機関車に追いやられているが、寝台特急 北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレスの北海道区間で活躍中。

■全長:18.0m
■運転整備重量:84トン
■エンジン:DML61系 V型12気筒×2機
  パワー:1100馬力×2=2200馬力
■最高速度:95km/h


ジイちゃんと、その孫も満足な1台である。


[マメ知識]
DD 51 1187 の初めの“D”はディーゼル機関車の略。次の“D”は片側での動輪(駆動輪)の数。Aなら1輪、B、Cの順に、Dは4輪、Eが5輪である。
次の数字は形式で、10〜39が最高速度85km/h以下の機関車、50〜89は最高速度が85km/hを超える機関車。そして最後の数字は製造番号。



DE 50 1970年、国鉄がたった1台だけ作った最大出力16気筒エンジンを積んだ機関車。JR化前の1986年に廃車。ということで、ここ津山にしか見ることはできない。

■全長:15.95m
■運転整備重量:70トン
■エンジン:DMP81Z V型16気筒 2000馬力
■最高速度:95km/h (たぶん)


若い奥様、息子も赤ちゃんも喜ぶ1台である。


DE 10 ローカル線の客車・貨物牽引の中型機関車で708両作られたうちの1号機。これはJR四国の所有車を借りて展示している。翌月(2008年12月)には返すようだ。

■全長:14.15m
■運転整備重量:65トン
■エンジン:DML 61系 V型12気筒 1250馬力
■最高速度:85km/h


なぜかガキに人気の機関車である。




お待たせしました、ついに登場、キハ58系。“急行 つやま”のキハ48系には申し訳ないが、これぞ“急行”気動車なのである。
どうです、この惚れ惚れする容姿、可憐なカラーリング。オリジナルエンジンのDMH 17系なんぞは、鳥肌が立つほどいい音がするのです。

キハ28は1基エンジン、キハ58は2基エンジン装備で、この2両を組まなければ冷房はできない。
キハ58系(キハ28やキハ56・57等もそのグループ)は急行用車両として国鉄時代に1823両作られ、10年以上前の20世紀末までは、全国のローカル線で走っていたもので、きっと都市部以外の皆さんには記憶にあることだろう。
しかし展示車のようなオリジナル国鉄色&DMH17エンジンのキハ58系は、現在わずか数量しか存在しない。そしてここを訪れた10日ほど前までイベント列車“みまさかスローライフ”として走っていたこの2両も全検切れ(バイクでいう車検切れ)で走行は不可能となる。全滅かな?悲しいことだ。
(※2009年5月に“みまさかスローライフ”が運転されるが、はたしてこのキハ58なのかは不明)

■全長:21.3m
■運転整備重量:41トン(キハ58)
■エンジン:DMH 17系 直列8気筒 180馬力
 (キハ28は1基、キハ58は2基)
■最高速度:95km/h


子供も大人も大好きな急行用気動車である。





以上、機関庫・車両解説おわり。



[ 各車両エンジン形式名と弊社製品名との関係 ]
DD51・・・DML 61、DE10・・・DMP 81、キハ58・・・DMH 17、キハ48(オリジナルエンジン)・・・DMF 15、は偶然にもペアスロープのウェア品番と類似している。さて、どちらがパクッたのだろうか、、、。
※各ウェアは製品ページにリンクしてます。




鉄ちゃんたちの為に熱弁をふるう駅長。
 どうです、素晴らしいでしょう、ここは。幼い子供からジイさままで、どの目もみんな輝いている。そしてここを説明・実演するJR職員さんたちも。
 一息ついたところで、マイク片手の駅長さんから声を掛けられる。
 「白いバイクに乗ってた方ですよねえ。どちらからお越しですか?」・・・バイクで参加したのは私だけなので、しっかり覚えててくれた。
 「東京です。でもバイクはここ津山で借りたもので、ちゃんと新幹線・津山線を乗り継いで来ましたよぉ」
 「それはそれは遠くから、毎度ご乗車ありがとうございます。いや〜あ、ここにいらした方々の半数以上はクルマなんですよ。鉄道イベントといっても、時代の流れなんでしょうねえ」・・・ちょっと寂しそうだった。
 3連休の初日、今日の参加者は定員80名に対して55名。しかし明日は150名だと駅長さんは言う。
 「定員80名だというのに、岡山支社が150名も予約を受けてしまって。見学は3グループに分けなくてはとても無理で、応援のスタッフも必要だし、もうたいへんですわ」・・・とは言いながら、嬉しそうだった。



OB登場!

 扇形機関車庫の次は“懐かしの鉄道展示室”の見学。そこには元日本国有鉄道OBのおジイちゃんが我らの為に解説員として待っておられた。余談ではあるが、私の亡き祖父も国鉄を定年退職しており、東京機関区(品川〜田町間にある現在の田町運転区・車両区)に勤務していた。幼い頃は毎日のように機関車の話を聞かされたものだ。だからいつのまにか“鉄”になってしまったのだ。




懐かしの鉄道展示室は扇形機関車庫の手前にある。

この地域車両のかつてのサボ(行き先表示板)。

鉄道電話。右側面の取っ手をクルクルッと回して掛けていたような。


国鉄時代やJR発足初期の制服を保存。

蒸気機関車の形式プレート。C-62は国内最速最大級のSLであった。

タブレット(左の輪投げ?)は、単線の列車通行許可証のような。




鉄道備品の数々。間近で見る腕木式信号機の腕はデカイ。

駅名表示板等。現在でもありそうで、なかなか見当たらない。

“走るビアホール号”だって。納涼列車はどんな列車だったのだろう。

 ここには最新の鉄道技術などいっさいなく、時代の流れに取り残された、昭和の香りがプンプン漂う名車と建造物・備品だけがある。それが愉しいのだが、もしここに煙を出している蒸気機関車があったら、ディーゼル機関車・気動車のエンジンに火が入っていたら、そしてそれに乗れれば、、、たら・ればはヤボな話だ。JR西日本の職員さん、そして国鉄OBの方々が、精一杯、我ら“鉄”どもにサービスしていただいてるのだ。しかも参加費は無料だ。深く、深く感謝しなければいけない。
 そしてこの機関庫と車両、いつまでも保存してもらいたいものだ。簡単に言っているが、保存には費用が掛かる。その費用を捻出するには知恵が必要だろう。あのキハ58が急行に復活して津山線を走ったら、、、ディーゼル機関車、いやターンテーブルがあるのだから、いっそのこと蒸気機関車を走らせたら、全国の“鉄ちゃん”が集まるだろうなあ・・・夢物語を浮かべながら、また職員専用踏切を渡って津山駅に戻る。



懐かしの鉄道展示室にあった津山扇形機関車庫の設計図




 いかがだっただろうか、津山の鉄道遺産。感動した! 美しい国、ニッポン!、、、あなたと違うんです!未曾有(みぞうゆう?)・・・歴代総理もかく言うようにたいしたものであった。
 いやぁ、今日は満喫した午前中だ。あれっ、カミさんはどうしたんだっけな?、、、そういや喫茶店に置きっぱなしだった。

津山駅の隣りの津山駅観光案内所の隣りの交番の隣りの喫茶店“さくら”。
津山駅には鉄ちゃんの姿はすでになく、学生達がたむろっている。

 いまさら述べても遅いけれど、このページ、ちょっと度が過ぎただろうか。“バイクと鉄道”ってタイトルだけど、ちっともバイクが出てこないじゃないか!と聞こえてきそうだ。
 でも鉄ちゃん達が見たら読んだら「初心者でも分かること書くんじゃねえよっ!」と言われそうな軽いノリで作ったけれど、バイク乗りにはちょいと重かったかな。
 次のページはちゃんとバイクが出てきます。トライアンフ タイガーで津山の城下町を走り回ります。


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