2006年5月17日

 「なぁ〜んだ、飛行機かよぉ!」 そう、悪かったねぇ、飛行機で。。。 薩摩は遠いからね、ジェット機なら、羽田からビュ〜ンと1時間40分で着いてしまう。バイクで走って行ったらおよそ1500キロ、高速道を休憩含めて平均速度80km/hとしても、不眠で約19時間かかる。しかも空路より高額。そんなヒマもカネもないから、飛行機なのだ。
 しかし、1、2泊目の宿の予定はたてているものの、その後はどのようにして、いつ東京に戻るかは未定。そしてパンパンに膨れ上がった我がサイフには50万両もの大金が入っている。・・・なんだ、ヒマもカネもあるじゃないか。
 ヒマは別としても、そのカネには大きな目的がある。2週間前に行った山形県米沢で買えなかった絹(きぬ)の織物、それを薩摩で探し求める。そして前代未聞の絹ジャンパーを作ろう!っていう魂胆である。
 羽田発、鹿児島行きが離陸。こうして薩摩への一人旅が始まる。
 

到着地の天気・・・雨。このマークを見ると気が重くなる。


鹿児島空港に着き、外に出るとやはり雨。そしてポツンと我が家と同じ仕様のゼファー750が止まっている。ナンバーを見ると・・・なんと俺んちのゼファーじゃねえか! なぜ???




手前には見覚えのあるBMW F650が。なんだかヤナ予感がする。



 「あれまぁ、尾原君じゃないの! 鹿児島に来ちゃったわけねっ、どおりで雨のわけだ。」 
 弊社グローブ担当、四国在住の尾原は、まれにみる雨男である。こいつが来ると、もうこの先は雨確定。今日は梅雨前線まで引き連れてきやがった。

 さてクサイ芝居はもうやめにして、なぜ我がゼファーが鹿児島空港にあるのかを話そう。
 弊社店舗スタッフの池田が、四国尾原のグローブ工房にバイクで打ち合わせに行く。その帰路は東京でなく、反対方向の鹿児島にバイクを持って来いよ、と。そうすれば、私がバイクで薩摩巡りができるぞ、と。池田は早々に飛行機で帰れよ、と。 しかし、尾原がついて来ちゃったぞっ、と。 本人いわく 「ヒマっすから」、俺いわく 「余計なお世話!」
 
 さあ出発。でも雨。これじゃあ走っても楽しくないから、鹿児島市内の大島紬(つむぎ)織り元に直行する。
メーカー不明のカッパに長靴姿。この男の走る頭上はつねに雨雲。

東京に向かう池田。四国高松から650キロご苦労さん。お〜い、メットかぶって空港に入るとヤバイぞ〜!



[ 本場 大島紬 ] おおしまつむぎ  およそ1300年の歴史を持つ、蚕(かいこ)の繭(まゆ)の糸で織る鹿児島県特有の絹織物(きぬおりもの)。 染めや織りなど大きく分けて30数工程。 図案から織り上がるまで半年近くかかり、ひとつひとつの工程が、非常に複雑で高度な熟練した技術が要求される。世界でも類を見ない精巧な絣(かすり)織りの美しさで、絹織物の頂点に立つといわれる。
なお、大島紬には機械織と手織りがあり、末端価格は機械織で1反(和服1着分)数万〜十万円前後、手織りは数十万円〜が相場と、かなり高価な織物である。
・・・そんな歴史ある伝統工芸の絹織物を、ペアスロープのウエアと合体させようとする無謀とも思える大胆な発想。はたして実現できるものか。。。



 前日に恐る恐る電話を掛けた。“関絹織物”という大島紬の織り元である。電話の向こうでは、せっかく東京から来るのだからと迎え入れてくれた。だが、、、。

 普通の家といった感じの玄関から居間に通され、西郷隆盛のようなかっぷくの良い、代表者のご子息の関氏が対応してくれる。まずは弊社の説明をあれこれして、ジャケットに大島紬を使いたいのでぜひ売ってほしい、、、と問うが、首をタテには振ってくれない。それどころか、返ってくる言葉はクールそのもの。「どちら様の紹介でここに来られたか!」 シロウトが来るようなところじゃないぞっ、てな感じだ。
 まあ無理はない。弊社とはまったくの異業種であるし、長い歴史を持つ伝統工芸品を、こともあろうにバイクウエアメーカーの製品に使うなど無礼者である。→


やがて畳の上には、所狭しと反物が並ぶ。ちなみに一反ウン十万円也。


 織り場に上がると、初めて目にする光景が飛び込んでくる。歴史を感じる木製のハタ織り。先ほどまでの一階では鈍い音に聞こえていたものだが、目の前では、カラン、トン、パッタン、と乾いた音をたてて数人の職人さんが織っている。
 ・・・これは大昔に絵本で見た“鶴の恩返し”の世界だ。もうこれだけでも感動ものだが、壁に整頓された光り輝く絹の糸もなんと美しいことか。


きれいなキレイな綺麗な、絹の糸。


 30分ほど時間をとってもらうつもりが、いつのまにか3時間を過ぎていた。そしてついには、「どれでも好きなのをお売りしましょう。」と、今現在、織っているものまで、数反を購入。
 男は黙って現金払い!と、ぶ厚いサイフから50万両を取り出すも、ちょっとヤバイ。カッコをつけたものの、払ってしまうとこれから先の旅費が足りない。隣りの部外者尾原に小声で「10万両貸せっ!」と問うが「ほど遠いっす」。
 我らの動揺を察した関氏は、「旅の道中、なにかと銭は必要でしょう。帰ってからの振込みでよいですぅ」 と、太っ腹。(いや、心が広いという意味です。誤解ないように。)
大島紬を前にして、熱心に説明してくれる関氏。

 プライドの塊のような関氏であるが、私とて物作りのプライドは半端ではなく、そう易々とは引き下がれない。しかし説得すること30分、なんとなく理解してもらえると、やっと重い腰を上げ、押入れから取り出した大島紬を見せてくれる。・・・なんとも絶妙な色使い、美しい、素晴らしい! 初めてま近で見る絹織物は、そんなありきたりな表現しかできないのが申し訳ない。
 関絹織物の大島紬は“手織り”だ。そういえばここに来た時から、バッタンともドッスンとも言える、こもった鈍い音が聞こえていた。
 「織り場を見せましょう」 関氏に着いて二階に上がる。階段には大きく“関係者以外 立入り禁止!”の張り紙が。めったやたらには部外者を入れないそうだ。
 ダメもとで写真を撮っていいか、聞いてみる。「撮影禁止なんだけど、まっ、いいでしょう。」 ありがたい。


このおばちゃんが織っている、まさにそのものの大島紬は購入させてもらった。

 手織りの大島紬がなぜ高額なのか、ここで分かった。
 私が好むような比較的シンプルな柄でも、一反(きもの1着分の約12m)を織るのに最低でも12日以上かかる。(一反/30日程度も一般的) また、その前の下準備にも職人が多くの時間を要し、そして高価な絹の糸。それを染める作業、等々。単純に人件費だけを計算しても、かなりの金額になる。
 絹糸について質問した。日本の養蚕業は衰退しているが、はたしてどこの蚕(かいこ)の糸を使っているのかと、
 「うちは、ニッポンのお蚕さんの糸しか使いません!」
 う〜ん、自分用のワンオフ大島紬ジャケットを作りたくなった。いや、作る!


関氏は大島紬を使ったセンスの良い婦人服も企画している。これなんかカミさんのみやげにいいかなと、正札を覗くと四十数万両なり。今日のところは見るだけにしておこう。

“鶴の恩返し”以来、何十年ぶりだろうか。


 なんだかんだと関絹織物には5時間もいた。それにしても、関氏にとって、どこの馬の骨だか分からぬシロウトの私を、よくもあれほど熱心な対応をしてくれたものだと敬服する。そして今日の収穫はとても大きい。
 購入した中のお気に入りの一反は、すでに自分用のジャンパーときめている。大島紬の気品と美しさ、そして歴史や伝統工芸がたっぷりと織り込まれたスペシャルな作品が3週間後にはできるだろう。楽しみだ。
 「あのぉ〜〜、私にも作ってほしいんだけどぉ」西郷ドンの銅像前で尾原が言う。「馬鹿言ってんじゃねえぞ、オイ!」と軽くかわしたが、なんか可哀想だから作ってあげることに。超ドシロウとでも魅力は伝わったのだろう。でも“手織り”じゃなく“機械織り”でな。しかし機械織りであっても本場大島紬には変わりない。今年二人目が生まれた尾原家、奥さんが許すだろうか? ・・・手ごわいぞお? きっと無理だろうなあ。
そういえば、西郷隆盛は大島紬を着ていたのでしょうね?と関氏に尋ねた。「いや、薩摩絣(かすり)といって綿100%のきものを愛用していたのです。」 西郷さんは庶民派だったようですな。


尾原とのツーリングに傘は必需品。これから路面電車に乗って飲み屋を探す。

鹿児島市内中心部の料理屋に入る。熊本が名産だが、ここにも馬刺しが。左から霜降り、たてがみ、馬タン(牛タンはたまに喰うが、これは初めて)、そして薩摩の和牛。どれも格別な味。 「この店、高そうですねえ、メニューに値段が付いてないっすよぉ?」小声で尾原が耳打ちする。そんなの心配して喰っても、旨くないと思うが。写真はスッポンの肝焼き(旨い!)とナントカ竹の子。

勘定を払い終わった筆者と、勘定もらって愛想笑いの女将さん。その表情は対照的。


 少々出費は多かったが、芋焼酎も料理も旨かったので良しとしよう。ビジネスホテルに戻り(その前に鹿児島ラーメン喰って)爆睡。
 そして朝、部屋のテレビをつけ、まずは天気予報を見る・・・なんだこりゃあ! 
 東京を出る時、ホンコン辺りを西に向かっていたはずの台風1号は、なんと90度+α方向を変え、九州に向かってくるではないか。だいたいから発生1号なんて、この時期日本には近づかないものだが、どうなってるのだろうか。
 ヤツは梅雨前線だけでなく、台風まで呼んできやがった。
今日そして明日の九州の予報は、大雨・洪水・強風・波浪注意報だと。もう、完全にツーリングの戦意喪失!!!!!



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