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1983〜1985年の広告より。
当時、レザースーツ全盛の時代であり、ペアスロープも新参メーカーながら販売しておりました。全スーツメーカーの中で、いちばんシンプルなデザインであったと記憶してます。しかしあくまでメインにはならず、革ジャンの露出より大きくは扱っておりません。 (下に少し写っているウエストバッグの方がはるかに大きい)
1985年、20周年限定品のS-10Aアームレザースタジアムの原型モデルであるS-10スタジャンが掲載されています。そのほかカラフルなウエストバッグ類、写真右はWB-T、下はWB-V、どちらもカラーリングの違いだけで現在も販売しています。まだまだレザースーツ全盛の頃としては異色の広告でした。
1986年、弊社がスズカ8時間耐久レースにチームを組んで参戦した年です(8位入賞)。しかし、レーシングなイメージはどこにもないですね・・・おっと忘れてはいけない人がおりました。当時の弊社チーム8耐ライダー、元世界GPチャンピオンのコーク・バリントン氏が革ジャンのモデルとしてこっそり写っております。それにしてもカッコいい英国紳士でした。
1987年からは、店内の床をバックに製品を撮っており、現在もその手法で続けております。ご来店の方が歩いているその床ですが、16年経ってもいまだ現役なのは、大奮発して発注した15ミリ厚のサクラの木を床材として使ったわけで、“高価だが丈夫で長持ち”の見本のようなものです。
広告の写真上はピッグスウェードの革ジャン、下はラムスタジアムクラシック(羊革)。どちらもいい雰囲気を持っている人気モデルでした。
1989年の広告。春は革ジャンではなく繊維ジャケットを掲載してました。右上はナイロン、左下はコットン製で、現在の繊維ジャケットのようにプロテクションパッドは皆無で自由なデザイン、それはそれは着心地の良いものでした。かたちを少しずつ変えて今もF-22シリーズがその作りを継承しております。また、この年すでに定番品であるショートブーツ、ワークブーツ、グフハーフブーツがそろい踏みです。
1990年頃は世の中が革ジャンブーム、バイク乗りだけのウエアではありませんでした。作っても作っても予約がたまる一方、サイズオーダー品などは2〜3ヶ月待ちでした(近年でも最盛期は1〜2ヶ月納期です)。この頃からです。各メーカー急激に日本製から海外製に切り換わり、低価格になりました。同時に弊社広告「MADE IN JAPAN!」でニッポン製品の誇りを謳い始めたのです。
1990年代前半はバッグ類も製作しておりました。丈夫で質感の高い製品達でしたが、日本製品ゆえに海外量産品との価格差は大きく、予想外に販売苦戦、生産中止となってしまいました。
それから10年以上が経ち、いまだ現役で愛用されている姿をご来店時に目にします。そして“気に入ってますよ、じょうぶですねぇ”って・・・うれしいかぎりです。
1992年の広告。
写真上は20周年リバイバルスウィングジャックの原型STP-80、中はSTP-95、下はSTP-98。どの製品も10年間は販売しつづけていた人気モデルでした。現在の製品は上記モデルを継承した、より完成度の高い革ジャンです。
尚、この頃よりライディングジャックとして、高速向け・プロテクション効果を意識した製品作りを開始しました。そして1998年にG-300D、2000年にG-320Dの超高速モデルの販売となります。(社用車としてカワサキZZR-1100〜ZX12Rを購入したことに原因があったような・・・)





1983年より、およそ10年間を駆け足で紹介いたしましたが、まだまだたくさんの製品達があり、時間の都合で?お見せできないのが残念です。きっといまだ現役で愛用されているお客さんも多くおられることでしょう。この機会に革製品の破損に気づいたらどうぞお問い合わせください。直せる限り復活させます。

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