2010年11月23〜24日





演歌“港町ブルース”熱唱中の柏秀樹氏(左)と、それを無理やり弾くギターは夫婦坂の三橋氏。


ペアスロープ(夫婦坂)店舗


2010年春夏カタログ撮影:京都伏見の寺田屋と松下ヨシナリ。
 東京は前日の予報通りに朝から雨が降っていた。それでも、少しずつ明るくなる空は、これから始まる奈良紀行リターンズの幸運を示しているかのようだった。でも、雨は降り続いている。レインスーツは雨のためにあるのに、それを濡らしたくないというセコイ自分が嫌になるが、すぐに雨はやむのだぁ!! と念じつつ、小雨のなかを馬革ジャンを濡らして夫婦坂に向かう。
 微妙に嫌な感じの濡れ具合で到着した夫婦坂の朝は、空模様にも似たどんより具合である。聞けば、前夜に二輪ジャーナリストの柏秀樹さんを迎えた夫婦坂トークライブがあったらしい。柏さんはひじょうに、サービス精神が旺盛な方なので、話の8割をオヤジギャグに費やしてしまうこともあるのだ。それで、朝からこんなにどんよりしているのだね。それじゃ、と「トークというより、闘苦だね。柏さんは遠くで見ているのが良いんだよ」などと、迎え酒ならぬ迎えギャグを投下して、どんよりに拍車を掛けてみる。

 お疲れのところ早めに出勤してくださったペアスロープの池田君が困っている。そもそも、今回の奈良紀行はこの池田君をそそのかしたことに始まる。それは2010年の春夏カタログだった。パラリとページをめくると京都の寺田屋の前で松下ヨシナリ氏がポーズをとっている。「寺田屋だから、松下君でもオッケーだが、次回は新撰組がどどっと御用改めをした池田屋に行くべきだし、やっぱり池田屋の前には池田君がいるべきだよ。次回、池田屋に行くことがあったら、私から三橋さんに池田君を強く推薦するよ。ところで、おじさんは奈良にもう一度行きたいのだが、そんな情報があったらウィキリークスに流さずに、おじさんに教えてくれたまえ」というような会話をしたような、しないような。んで、奈良に行きます情報をまんまと入手したのである。ただし「池田屋はもうないじゃないですか……」と池田君に涙ぐまれてしまったことは忘れてしまおう。

 さて、奈良情報を入手した私は「おねげぇでございます。奈良にやり残したことがあるんでやんす」と三橋さんに土下座をかまして、めでたく奈良行きのキップを手に入れたのであった。おっと、キップはキップでも着心地最高のキップ牛革じゃないよ……。
 おぉ、こんなこと言っていたらますますどんよりしてしまった。何しろ、私以外のそこにいるメンバーは、トークな夜を近くで過ごしていたのであった。






 夫婦坂を出発する時間には、雨はやんでいる予定であった。ところが、降りは勢いを増しているのだ。せっかく、ここまでレインスーツを使わずに来たのに、結局着用するのは悔しいけれど、仕方があるまい。池田君のみならず、空までもどんよりに拍車をかけてしまった迎えギャグを反省する。
 夏のレインスーツは暑いから嫌なのだけれど、冬のレインスーツは脱いだ後に寒さを感じるから嫌なんだよな。かといって、雨も降っていない場所でバタバタさせるのは格好悪いし。いやいや、ペアスロープのレインスーツは細部の調整が可能だから、バタバタしないんだけれどね。気分的バタバタですよ。
 そんなこんなで、東京都大田区夫婦坂を出発してから約100kmで東名高速 駒門PA到着。今回の撮影紀行には、3年前の“男奈良”前編に登場した3人のおっさん(三橋さん・カメラマン坂上さん・ライター石野)に加え、合流に失敗した三橋さんの奥さんも最初から同行する。これなら失敗する心配はない。用意周到である。もちろん、坂上さんは自らのカメラ機材に加えて、何着もの撮影用ウエア類を運搬しなければならないので、クローゼット号(クルマ)での同行である。なので、バイクよりもちょっとゆっくり。

 駐輪場にはゼファー750とCB750が並んでいる。登場した頃はエセ・クラシックな雰囲気すらあったのに、今では十分クラシックな2台である。ゼファーなんか、生産中止後の中古市場で即プレミアム価格をつけたという貴重な存在である。
「やっぱり4気筒ナナハンはいいすねぇ」などと語らいつつ、クローゼットの到着を待つ。

CB750とゼファー750・・・共に鉄フレーム・タンク、キャブレター空冷4気筒。

 曇り空で富士山は裾しか見えない。富士山の地下130mから湧く天然水なんてのもあるけれど、寒いので触る気もしないが、なんとか雨がやんだのは良い傾向だ。ここで、雨天終了を宣言した。「本当にもう降らないかぁ?」と疑心暗鬼な三橋さんに「大丈夫です。もう雨は降りません!!」と高らかに宣言したのである。
 それはまだ、駒門PAを出発してから間もない頃であった。シールドにパタパタと当たる液体があるのだ。前を走る三橋さんの背中が何かを訴えている。まぁ、次のストップ予定である浜名湖SAまでは距離も時間もあるから忘れるだろう……。
 忘れていなかったら「いやぁウインドウォッシャー液を大量に飛ばす車がいましたねぇ。三橋さんも怒っていたでしょう。分かりましたよ。やっぱりシブイ男は背中で語りますなぁ」と言ってごまかそう。

伊勢湾岸自動車道を疾走中の夫婦坂な二人。雨が降った罰で石野は失踪中。





 秋の夕日は釣瓶落とし……ということで、東名高速から伊勢湾岸自動車道を経て国道25号線に入った頃にはとっぷりと日も暮れていた。前回の男奈良紀行では、前日にトークライブがなかったので、もう少し早めに出発し、もう少し早めに到着でき、室生寺(むろうじ)散策を楽しみつつ、コケのむすまでコケ写真などを撮る時間があったのだが、今回は急いで宿へと向かう。

大宇陀の旅館・今阪屋にて豪華な夕食。








 宿は前回同様に大宇陀(おおうだ)の今阪屋さんである。こちらのお宿は、大宇陀区の歴史的街並みが残る松山街道筋に位置している。であるからして、夕食後に散策がてら国道筋の便利屋へと向かえば、格子の美しい家や“うだつ”をかまえる家などが建ち並び、細い路地から「御用!!御用!!」なんつって岡っ引きが走り出してきそうな雰囲気である。なんでも大宇陀は、江戸時代には奈良と大和郡山(やまとこうりやま)に次ぐ規模の町であったらしく、宇陀千軒とも呼ばれていたという。街道の両側に引かれた用水の奥には犬矢来(いぬやらい:犬避け・防犯のための竹の柵)を設えた家屋もあり、これまた雰囲気がよろしい。
 前回は室生寺(むろうじ)と又兵衛桜(またべえざくら)でお腹一杯になっていたので、たいへん素っ気なく通り過ぎてしまい申し訳ありませんでした。今回はちょっと深めに味わわせていただきました。前回、坂上さんは早起きじいさんと化して、写真を撮りつつ散策していたのに、良いとか悪いとかまったく言わずに、先に朝飯を食べたことに憤慨していたんだもの……。
 とはいえ、翌朝はぼーっとしてしまったんだな。有名な万葉の歌人である柿本人麻呂が『ひむがしの 野にかぎろひの立つみえて かへりみすれば 月かたぶきぬ』と詠んだのが大宇陀周辺らしいのだが、まぁじっくり寝てしまったわけだな。“かぎろひ”ってのは厳冬の早朝、太陽の上がる前に現れる最初の陽光ということで、そんな素敵な風景も見てえものだと思っていたけど“寝返りうてば 意思かたぶきぬ”って感じでとっくに夜が明けていたとな。
 ちなみに、12月22日に大宇陀区のかぎろひの丘 万葉公園にて早朝4時〜7時頃まで『第39回かぎろひを観る会』という催しが開かれる。温かいふるまいもあるそうなので、興味のある方は、ぜひ!!


今阪屋旅館の方々と:大宇陀の歴史的街並みのド真ん中に宿がある。写真は料理の一部で、ほかにも盛りだくさん。共同トイレ以外は大満足の1泊2食付 10,500円(サービ料込・2010年現在)である。なお、来春の又兵衛桜に関する情報なども豊富な今阪屋さんのブログは・・・こちら >>









 今回の重要な目的のひとつである宇陀市菟田野(うたの)の鹿革加工所(タンナー)、藤岡勇吉本店へお伺いする前に、ぜひ寄らせていただきたい場所があった。大宇陀からも菟田野からも程近い場所にある八咫烏(やたがらす)神社へ行きたかったのである。
 この旅に出る前に三橋さんより「どこか行きたい場所はあるかい?」という質問を頂戴したので、「できれば、伊勢神宮をお参りしてから、紀伊半島をぐるっと廻って熊野那智大社をお参りし、その足で紀伊山地をくねくねと走り、大宇陀への八咫烏神社へと向かうってのはいかがでやんしょ?」と応えたものの、「遠いなぁ」と瞬殺されたという経緯がある。
「それでは、せめて宇陀の八咫烏神社だけでも、お願いでごぜえます」という和解案が提出されたのだった。















 すっかりおっさんになっているにも関わらず、高校生や大学生に混じってフットサルなどをたしなむ石野であるが、寄る年波には勝てず、いくらやっても上手くなるどころか、限界ばかりを痛感する毎日。ここはひとつ神頼みしか残されていないのではないか。そのためには、やはり日本代表の胸に輝き、日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている八咫烏をお祀りする神社に行くべきなのではないか……と。これは石野の個人的メインテーマであり、前回の男奈良でやり残したことなのでもあった。
 そうはいっても八咫烏がサッカーの神様であるわけではない。諸説あるが『日本書紀』に登場する話は紹介しよう。・・・神武天皇の軍隊が熊野から奥地に進む際に苦戦をしいられている時、天照大神の使者である先導神(みさきがみ)として大和国に入ったとされている。
 つまり、この話を上手いことこじつけて「三橋さん。あっしが八咫烏、つまりは先導神となって熊野から大和へと入りましょう」という話を持っていこうじゃないかと思っていたのであるが、熊野詣ではなくなりにけり。なので、由緒正しい宇陀の八咫烏神社にて「サッカーが上手くなりますように(子供か!?)」と100円を投げ込んだのだった(子供か!?)。
 それにしても、この素朴な八咫烏神社はとても居心地の良い場所であった。畑を見下ろす大地に簡素な拝殿があり、鳥居の先には伊那佐山が見える。実に大和なる風景である。
 この境内に朝の光が射して、紅葉が鮮やかに色づいていた。ここから先、いくらでも美しい紅葉はあるだろうけれど、生まれたての鳥が初めに見たものを母と思うように、今回の紀行で最初に見た美しい紅葉は、すなわちパーフェクトな印象を与えるのである。
 さっそく撮影開始となったのであるが、まるで人気のなかった境内の横を近所のおじさんが通りがかって「テレビに出てる人?」なんて聞いていらっしゃる。即答しましたよ。「すみません。ただのおっさんです」……これだから、撮影紀行は楽しい。


「やい、カネを出せ」と言われているわけではなくて、ストロボを持って撮影の助手を務める三橋さんの奥さん。ストロボ・マスターのカメラマン坂上氏には欠かせない存在なのだが……「いいんすかぁ!?」






 八咫烏神社は紅葉狩り観光シーズン真っ盛りの奈良においても、観光バスが来るわけでもなく、他府県ナンバーの車が集まるわけでもない小さな神社である。その上、まったく間の抜けた個人的テーマのために費やした時間にも関わらず、ご同行してくださった皆さんは、ことのほか穏やかであった。朝の爽やかな日差しを浴びてひときわ艶やかに見える紅葉のおかげであろうか。まことに麗しいですのう……。






 麗(うるわ)しさのあまり、時の経つのも忘れそうであったが、本来の目的である宇陀市菟田野(うたの)区の藤岡勇吉本店におじゃまする時間となった。そう、この菟田野区といえば国内の鹿革の90%以上のシェアを誇る鹿革の聖地である。もちろん、今回の訪問も三橋さんの鹿革ニュープロジェクトのご相談ということなのだ。
 ちなみに前回訪れた際には、試作の鹿革ジャケットを三橋さんが着用し、なぜか馬面つながりということで、石野が試作の馬革ジャケットを着用して訪問した。この鹿革ジャケットはF-58DとR-50Dとして、馬革ジャケットはR-50HとC-55Hとして製品化されている。今回も馬と鹿の組み合わせで菟田野区へと乗り込んだわけである。本来ならば二人合わせて“馬鹿ジャン”なんてポーズを取りたくもなるけれど、そんなことを三橋さんが受け入れてくれるわけもなく、寂しさのあまり、ちょっと着させて下さいねと鹿革ジャケットをお借りして、独り馬鹿ジャンを楽しむしかないのであった。
 ところが、その鹿ジャンの着心地が相変わらず良いのである。思わず鹿ジャンも欲しくなるような心地よさだ。いや、もちろん馬もいい。たいへんお気に入りだ。だが、馬ジャンは牛ジャンの延長線上にあるような印象なのに、試作から数年を経て、ちょっとこなれた鹿ジャンは何とも言えない独特の着心地なのである。いうなれば、皮革ながら布のような優しさというか、麗しさ。
 話が脱線したので、鉄道マニアの三橋さんから怒られそうだ。だが、これは脱線ではないのだ!! と高らかに宣言しよう。この着心地の優しさはその繊維束の繊細さと密度の濃さからなるものである。レンズ拭きに用いられるセーム革が鹿革であることからも分かるように、様々な布繊維よりも勝るしなやかさを誇るのである。しかも、強い!! しなやかで強いといえば、柳腰とでも書きたくなるが、そいつはちょっと違いますぜ長官、と指摘されても困るので軽く流しておこう。
 この鹿革特有の資質は古来から武具の紐や飾り、緩衝材として、さらには煙草入れや巾着などの袋もの、革足袋、手甲、革羽織などまで様々に利用されていたのである。また、正倉院の宝物殿に保存されている皮革製品には鹿革のものも多く、他の獣皮製に比べていまだに柔軟性を残しているという。こうして考えると鹿革の素晴らしさばかりが強調されているが、そこはそれ。鹿革の聖地・菟田野編だからお許しいただきたい。





 さて、この麗しの鹿革を使ったニュープロジェクトとはなにか。いよいよ、この疑問が解明する。それは印傳(いんでん)革である。印傳とは応帝亜革(いんでんやかわ)ともいい、インドから渡来(インドを経由して欧州より渡来ともいわれる)したとされる鮮やかな皮革を模したことにより、印度から伝わったという意味で印傳(印伝)と呼ばれている。現在では、漆(うるし)付けを施した鹿革を印伝として呼ぶのが一般的であるが、その製法はひじょうに手間がかかる高価な存在である。そして、もちろん日本の伝統的な技法でもある。



藤岡社長と会談中だが、横の赤白玉は?

トンボ柄の漆皮で作られた名刺入れ。

漆皮の工房を山本氏に案内してもらう。

数々の麗しき鹿革製品を見せていただく。
 藤岡勇吉本店では、鹿革には薄くて柔らかい高級鹿革である“キョン”を使用し、山梨産の漆を伊勢型紙を用いて漆付けをする。藤岡社長はこの印傳をあえて「漆皮(しっぴ)」と呼びたいとおっしゃる。
「漆器という言葉があるのですから、漆皮と呼ぶ方が趣があるでしょう」
「確かに、インデン・ライディングよりもシッピ・ライディングのほうが言いやすいですよねぇ三橋さん?」とおポンチなことを言ってみる。
「馬鹿いえってんだ、ジャケットもコートも作らねぇよ。幾らのジャケットになっちまうってんだ、べらぼうめぇ。漆皮は小物に使うんだ。例えばな、名刺入れとかコインケースとか。あとバッグ類にもパーツで使う予定だぁ」
 見せていただいた漆皮は細かな模様が型染めされており、触れてみると漆付けされた部分の凹凸の艶やかさが指先に伝わる。光の当たる方向によって漆の艶が鹿革の表面を行き交い、まことに繊細である。今日は朝から麗しいものばかりだなぁ……。

 そういえば、漆の語源には“うるわし(麗し)”“うるしる(潤汁)”“潤いの止まった状態(潤止)”など諸説あるが、今回は“麗し”説を取りたい。だって朝から“麗しい”を連発させてきたのは、このためなのだから。
 しかも“麗”という漢字をよーくごらんになって下さいよ。“鹿”という字があるでやんしょ。漢和辞典によれば、“麗”は鹿の角が綺麗に2本並んだ姿を現し、連なるとか並ぶという意味があるという。まさしく、目の前に見ている鹿革と漆のコラボレーションではないか。私のこじつけも綺麗に整いましたねぇ。


「そういやぁ、奥方の使っているバッグも、もしかして漆皮ですかい?」
「そうよ。試作品だけど、トンボの型抜きが良いだろう。トンボは勝ち虫で縁起物だからなぁ」
 おぉ、まさしくトンボが整然と並んだ漆皮があしらわれている。これは文様としてカワイイし、しかも勝ち虫とは勇壮ではないか。
「勝ち虫ってぇと、子供の頃は水の中なのに、大人になって空を飛び回るから、今でいうところの勝ち組みたいなもんすかねぇ」
「トンボは退かず前にしか進まないから、勝ち虫なんだよ。武士の兜に装飾されていたり、色々な武具の文様にもなっているんだぞ」
「なるほどねぇ。そうしてみると同じように、水の中から陸にあがるカエルなんかは、跳ぶけど飛べないからなあ。しかも、名前がカエルは縁起が悪いや」
 なんて間の抜けた会話を交わしつつ思い起こしてみれば、バイクだって前にしか進めない不退転の乗り物だ(ごく一部を除く)。バイクが“勝ち乗り物”かどうかは別として、トンボとバイクはけっこう良い関係かも知れない。鹿革に漆に勝ち虫のトンボ……なんてゴージャスなんだ。そのうえ、鹿もトンボも秋の季語ときてるから、訪問時期もバッチリではないすか。何もかも整いすぎだな。麗しすぎて、もうお腹一杯だよ。





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