2009年5月25日


  天才と称されるあのイチローもエラーをすることがまれにある。名人の私だってごくごくたま〜に釣れないことがあるのだよっ、と言い訳がましくしゃべりながら万宝の店内に入ると、なんだか旨そうな匂いが漂っている。店のオヤジが赤く輝いたキンメダイと伊勢海老のヒモノを炭火で焼き初めたのだ。夫婦坂のコップにビールを入れ、ちょびちょびとやりながら。
 いやぁ〜旨いんだろうなあ、この赤い奴ら。さてそろそろ極上の魚の話でもしようか。というより万宝の親子に魚を語ってもらい、私も魚の勉強をしよう。

店内の囲炉裏で自慢の品を焼く万宝の主人(オヤジ)。炭は備長炭だぁ〜!


幼い頃から魚を食ってるだけあって健康そのもの、歯も骨も丈夫な勇一君。



 私が万宝に初めて訪れたのは8年前である。知人のカメラマンから「旨いヒモノ屋があるよ」と聞いて、伊豆一周がてら、軽い気持ちで立ち寄る。しかしその場で焼いて食ったアジのヒモノ「あれっ?いつもカミさんが買ってくるのと違うっ、旨いじゃねえか!」と、その後、毎年訪れる。
 その頃の話相手はオヤジではなく、その息子勇一君。これだけ旨いヒモノなんだからもっと売れるはず、とホームページ作りをあれこれ教えていた。しかしである、、、
「オヤジはホームページをぜんぜん信じてないっすよぉ。『あんなもんでメシが食えるか!』って、新しいパソコンを買うために貯めた店のおカネ、さっき全部持って魚の仕入れに行っちゃいましたぁ〜」
 それから3年間くらいだろうか、私が万宝に行っても、その頑固オヤジとは口を聞いた覚えがない。
 でもしかし、それにもめげずホームページ作りを頑張った勇一君、その効果で徐々にお客さんが増えるようになると、
「やっぱりパソコンてすげえなぁ、おいっ」
 と180度の方向転換。オヤジさんよ、息子を信じなさいって(俺も!)。

 まずは息子勇一君に素朴な質問をする。万宝の地物の魚(地魚)ってなんだろう、って。
 「困るんですよぉ〜、その質問。地魚といっても、すぐまん前の海で獲れるわけじゃないし〜」
 地魚の定義なんてあやふやである。その地の海のどのくらいの距離までの魚を地魚と呼ぶか、地域によってまちまちなのだ。しかし真面目な息子は、すぐ前の海の魚を地魚と考えてるようだ。それを承知で意地悪を一発、
 「でもさあ勇一君、あんたの店の玄関にある大きなカンバン、『地魚 万宝』ってあるけど、それってどうなのよ、インチキかぁ?」
 「インチキじゃないっスよっ! あの木のカンバンは15年前のもので、その頃までは地魚もヒモノにしてたんスからぁ! まあ環境の変化ってやつかな、だんだん獲れなくなってきまして、、、」


意地悪な質問をするものだから、いやいやビールを注ぐ不機嫌そうな勇一君である。


 万宝は伊豆周辺の海の魚を中心としているものの、少し広い範囲の近海物も、良い魚なら仕入れ、ヒモノにしている。地物か近海物か、は別にして、どちらも日本沿岸の海で獲れるいい魚だ、旨くないわけがない。
 そして続けて質問。ヒモノ屋なのに、伊豆の国道沿いでよく見かける干してある魚の姿、さっきから探したけどないじゃないか!干すから干物(ひもの)というわけで、なんかインチキしてるのか、と。
(「このドシロウトがぁ」という目で)「ウチはですねえっ、干すのは冬場だけですよっ。暖かい時季に干すと、魚の脂分が酸化して旨みが落ちるんですっ!」
 万宝は冷風乾燥機?で、この店のほとんどの魚をヒモノにしているようだ。ライディング天才釣り師といえど、ヒモノは太陽の光でなせる物とばかり思っていたのだが、基本的には陰干しらしい。そういやあ一夜干しってのもあるしなあ、、、。

「近頃、ガイコクで獲れた安い魚が出回っててよぉ、でもニッポンの魚のほうが旨いに決まってんじゃねえかよぉ・・・ほれ注げっ」なあんて話してるような。それにしても夫婦坂コップで飲むビール、さぞかし旨かろう。

 そろそろオヤジにも話を聞いてみよう。ただし「インチキ」などという挑発はいっさいしない。そんなこと言ったら、さてどうなるか、きっと追い出されるにちがいないから。
大真面目な魚談義。しかし目の前の赤いモノが気になってしかたがない。。。


春夏秋冬、旬の魚。

 同じ種の魚で一年中獲れるのもあるが、本来その時季のものがいちばん旨いとされる魚の旬がある。たとえばキンメダイのなかでも伊豆大島周辺の魚場で獲れる地キンメ(地物キンメダイ)は、11月から3月頃のものが油の質が上品でとびきり旨いといわれる特上品。
 ではそれこそ一年中見かけるアジはどうかといえば、伊豆では6〜7月のものが最高だそうな。釣り名人(自称)の私ですら知らなかった(船釣りは酔うからしないので)。ほかにも梅雨時はイサキ、夏はタカベ、秋はカマスやサバとそれぞれの魚に旬はある。そういった魚を万宝は仕入れ、独自の方法でヒモノにしている。
 ではニッポンの新鮮な魚を、刺し身にするわけでもなく、シンプルな塩焼きでもなく、なぜヒモノにするのか、オヤジに問う。
「ヒモノはね、魚の水分が凝縮されてアミノ酸が出て、旨みがうんと増すんだ。それと俺の塩加減・干し加減が絶妙でな」
 なるほど、しっかり自慢も入っているが化学的要素もありうなずける。さらに、
「ヒモノは魚屋の原点だな。季節ごとの味があって刺し身には負けんもんな。それに毎日食っても飽きないしな」
 ちなみにこのオヤジの好物は、高級なキンメや伊勢海老ではなく、小魚のヒモノ。特にサンマの幼魚(針子)だという。実は私もそうで、一串120円(一匹20〜40円)程度のそれが大好物。酒のツマミに最高。でも希少なヒモノだから年中あるわけではない。
 ではオヤジ自慢のヒモノ、ほんの一部だが解説しよう。




キンメダイ
伊豆といえばキンメダイである。地キンメと沖キンメの2種があり、上級品である地キンメは一枚五千円・半身二千五百円と高価。対して沖キンメは地キンメのほぼ半額。
◆旬:地キンメは冬〜春の季節限定販売。
◆その味:どちらも旨いが、万宝お薦めはやはり地キンメ。

イサキ
焼いて良し、刺し身でまた良しの魚。万宝は絶妙な塩加減(オヤジの自慢)で一夜干し。一枚630円。
◆旬:まちがいなく梅雨時。
◆味:ほど良い身の脂が上品。私は刺し身とヒモノの両方を酒のツマミにしたい。


油カマス
水カマスと油カマスがある中、万宝は油カマスをヒモノにする。一枚630円。
◆旬:秋から冬。
◆味:身質が肉厚で脂にコクがある。なお、焼けた皮の香ばしさが最高、なのだそう。(今回、食ってないので客観的)


針子(サンマの幼魚)
イワシの丸干しは多く見かけるが、針子は非常に少ない。万宝オヤジと私の共通好物である。5串600円
◆旬:伊豆で獲れるのは梅雨時の20日間程
◆味:ビール良し、日本酒良し、焼酎良しのツマミに最高。※これを万宝で大量に買うのはマナー違反。


アジ
アジは魚の王道を行く。これなくしてヒモノは語れない。刺し身も旨いが、焼き魚の基本中の基本だ。一枚42円〜数百円とさまざま。
◆旬:特上品は6月〜7月上旬。それ以外に獲れるアジでも十分。
◆味:やはり伊豆近海のアジは旨い。ニッポン人の愛するサカナである。



[万宝 代表的な旬の魚]
■春・・・・・駿河湾産メヒカリ、地キンメ(冬〜春)
■梅雨・・・イサキ、小魚(子アジ・子サバ・サンマ針子)
■夏・・・・・タカベ
■秋・・・・・油カマス、サバ
■冬・・・・・ムロアジ








 万宝のオヤジ、いやご主人は南伊豆の山の中の農家の生まれ。しかし海が好きで、魚が大好きで、海の近くで仕事をしたくて、長男であるものの夫婦二人で実家を飛び出し、この外浦海岸で魚屋を始めたという。(上品な奥さんでねえ、なぜこの頑固オヤジと、なのかは不明…余計なお世話か)
 漁師が多く住む海岸で魚屋? そんなの商売にならんだろう、と思うが、昭和49年に始めた万宝は、近所の旅館や民宿に刺し身の船盛を作って配る仕出し屋。しかし繁盛はせず、そんなある年、オヤジが石川県の輪島の朝市に行った時のことである。
 ・・・雪の降る中、地元のおバアちゃんが一心に小魚のヒラキを作っているのを見たオヤジが、これで何をするのかと聞けば、
「捨てられてしまう小魚も、わしらが開いてヒモノにしてあげれば、おいしく食べられるものになるでしょっ」と。それに感動し、伊豆に帰ってから刺し身とヒモノの両方を扱うようになる。
 そしてヒモノは炭で焼くもの。その昔、オヤジのジイさまが能書きたれながら焼いていた。だから自分もそうしたと言う。
 しかし、しょせん小魚のヒモノ、誰の目にも止まらない。そこで考えたのが誰もが振り返りそうな、誰もやっていないインパクト絶大な伊勢海老のヒモノ。これが地元紙に掲載され、その情報でテレビ放映され一躍有名になり、やがて平成の時代に入るとヒモノ屋一筋に絞る。・・・してやったりオヤジ殿、って感じかな。
 頑固ではあるが、新しいことにも挑戦してきた万宝のオヤジ、そんな姿に息子は尊敬する様子がうかがえる。つい先ほど、キンメダイを焼こうと冷蔵庫から二匹持ってきた時のことである。
「とうちゃん、どっちがいいんだ?」
 釣りの名人(自称)である私にだって、どちらも旨そうにしか見えない。
「おいっ、そりゃあ右のほうだろ!」
「そうかぁ、こっちかあぁ」
 息子、というより、弟子だな。まだまだオヤジの魚の目利きには適わないようだ。


この店ではお客が冷蔵庫のヒモノを選び、それを囲炉裏で焼いて食う。炭焼き代二百円はドンブリ勘定。ご飯・飲み物等の持ち込みは自由。


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