2008年7月19〜20日



 2000年の三宅島雄山の噴火によって、島の人々は約5年間の島外避難にあった。2005年に避難解除されて島に人々は戻り徐々に復興しているが、2008年夏の現在、いまなお火山性ガスが発生しており、少々不便を強いられている。





 7月19日、東京浜松町の竹芝桟橋。今晩10時30分発の三宅島経由、八丈島行き“かめりあ丸”の出港を待つ。その船は客船のため、250cc未満のバイクは積めるが(コンテナに入れてクレーンで持ち上げる)、クルマはもちろん、それ以上の大型バイクもいっしょに運ぶことはできない。まあ島内でレンタバイクを借りればいいやと考えていたが、顔の利く松下が島の知人からバイクを借りることに。そんな松下が竹芝桟橋にやってきた。
 今回の旅の大半は残念ながら?仕事である。ビッグマシン誌コラムの取材、そして弊社製品撮影がメインとなる。なのに松下の格好から仕事モードはいっさいない・・・・・・なんでいきなりビールなんだぁ? わざとらしく水中メガネとシュノーケルをリュックから出して、、、いくら伊豆七島行きの桟橋だからって、こんなヤツ、松下以外どこにもイネェー!


 ところで筆者は船に弱い。なのになぜ2008年春に就航した1日1便 羽田〜三宅島の飛行機を利用しないのかといえば、これがなかなか飛んでくれない。それは三宅島の火山性ガスの影響で、飛行場に降りられない日が多いのである。ちなみにこの7月の就航率は3割程度か。飛行機を予約しても飛ばなければめんどくさい。だからしかたなく船旅といったところだ。

 松下と坂上カメラマン、そして我が家族(アシスタント)の5名を乗せた客船は、東京湾の綺麗な夜景を楽しませながら、まったく揺れることなく、のっそりと動きだす。


東海汽船では大型客船と謳っているが、北海道行きフェリーに比べると、半分くらいの大きさか。


出港すると、外の涼しいデッキでさっそく宴会。東京湾を出ると波のある太平洋。その前にたっぷりアルコールを入れて寝てしまおう、って寸法だ。


レインボーブリッジをバックに2008年秋の新作コートを撮影。でも缶ビールは余計だ。





アルコールをたっぷり補給し、
船が太平洋に出て揺れだす前に就寝。






午前4時半頃、三宅島に近づく。

2007年の秋以来、松下は二度目の三宅島。

朝5時、三宅島に到着。それにしても釣り人は多い。かく言う筆者も自称“天才的な”釣り師である。竿を持たせたら、三宅島のサカナを釣りつくすだろう。たぶん。


「かめりあ丸め、揺れないじゃねえか!」・・・飲んで爆睡してたので記憶なし。


 三宅島の港では、宿のオバちゃんが迎えに来てくれていた・・・軽自動車で。5人はどうやっても乗れない(いや、乗ってはいけない)。すると松下が島の顔見知りに声を掛けている「乗っけてって〜」。顔が広いヤローだ、まったく。
 港から5分も走らないうちにオバちゃんの宿“やまのべ旅館”に着く。しかしまだ5時すぎ、眠い。8時まで2時間ほど寝てから、今日の行動を開始することに。宿も考慮しているようで、部屋にはすでにフトンが敷いてある。ありがたいサービスだ。

4つか5つの部屋しかない、やまのべ旅館。オバちゃんとそのダンナさんの二人で営んでいる古風な宿だ。


 二度寝をして朝食を頂き、さてこれから三宅島の探検行動開始。それにはまずレンタカーを借りに行く。とはいえ、レンタカー屋のオッサンが宿に迎えに来てくれるが。
 宿は島の南側、レンタカー屋は北側だから、クルマで20分ほどの距離を走り、そこに着く。
 小さなコンビニ(風)を兼務している店内で手続きをする。代金を払おうとするとオバちゃんが「後払いですよ」と言う。通常、レンタカーは先払いなのだが、まあクルマ共々逃げるヤツもいないのだろう。フェリーもない島なのだから。「あさってはまん前のスタンドでガソリン入れて返してね」と言うと同時に、その無人のスタンドに客のクルマが入り、オバちゃん、すっ飛んで行った。
 な〜るほど、、、この日産レンタカーは、ガソリンスタンドも兼務しているのだ。それにコンビニ風商店とタクシー屋と、一石四鳥ってとこか。まあ、便利でいいやな。

まん前にスタンドがあるタクシー&コンビニ風商店レンタカー屋。


 レンタカー屋のすぐ近所をうろついていると、太鼓をたたく音が聞こえてきた。今日はここ神着(かみつき)地区の祭り“牛頭(ごず)天王祭”の日である。聞くところによれば、この祭りのために島に戻る人々も多いと言う。客船がやや混んでいたのはその為もあるらしい。
 祭りは島の青年団や子供達が中心となって、小規模ながらにぎやかに行われていた。まだまだ復興中の三宅島だけに、さぞ思い入れ深いものもあるのだろう。




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