第三話 2007年8月24日

 忘れるところだった。我々がここ春日山にいるのは、はるばる山形県米沢藩から来た上杉家の鉄砲隊、その火縄銃で撃つ祝砲を間近で見るためであった。突然の武士の出現で、すっかり頭から離れていた。

鉄砲担いで米沢藩来る。



鉄砲隊、砲撃!









ブレブレだぁ〜。

カメラと火縄銃は5mあるかないかの至近距離。こんなにデッカイ音だとは思わなんだ! 爆竹の100倍か!
ピントが合ってないのではなく、びっくりしてカラダが動いちまったのだ。申し訳ない。。。
必勝祈願のあと、謙信公祭の祝砲を火縄銃でブッ放つ。その瞬間をカメラに収めようって寸法だ。
 しかし・・・ ・・・、



気を落ち着かせて2発目で再挑戦。

煙とともに、火の粉が飛び散っているのが分かろうか。と同時に耳はキィ〜ン〜〜。すさまじい迫力。



 さて、山を下りよう。メインストリートで出陣行列を見物しよう。しかし往きに乗ったシャトルバスは一方通行なので帰りは歩き。まあ下り坂だからどうってことないが。

いまにも馬に跨った武士が通り過ぎそう。こんな風景が春日山周辺に。





 このクソ暑いなか、フル装備の武士たちは張り切っているのに、ラムネ飲んで、ビールくらって、カキ氷食って体勢を整えているのに、あまりにも見物人が少ない、、、と思っていたのは春日山を下りる時までで、出陣行列のメインストリートに着いたら、、、人、人、人。なんだこの尋常でない人波は。

 やはりメイン会場しか顔を出さない我らが英雄、主役の上杉謙信がこんなにも多くの人を集めるのだろうか。
 上等じゃないか、春日山にたむろっていた上杉軍・武田軍の各武将は、八百屋・肉屋・魚屋(たぶん)のオヤジがやっていた。さて、越後の総大将 謙信公が何屋のオヤジだか、見てやろうじゃないか。カッコ悪かったらシャッター切らん!


 え〜、ここからは各武将の紹介とともにご案内しましょう。紹介といっても手柄より人柄だけどね。でもちっとは歴史の勉強になるんじゃないか、と、私からのサービスですわ。
 川中島出陣の再現。まずは、武田軍から、、、。






ラムネ男。いや、信州 上田周辺を領地とする真田の武将である。その息子たちも武田家に仕え、孫にあたる真田幸村は、あまりにも有名。だが正確には“幸村”ではなく“信繁”が正解。


武勇伝名高い猛将だが、戦場で負傷した敵将を敵陣まで肩を貸して送り届けたと言う逸話も残る、情け深い武将でもあった。
・・・情け容赦ないと言われた戦国時代、こんな人情味のあるヤツもいたんだなあ、、、。


温泉オヤジ・・・というのは筆者のイメージ(ほんとの話だから仕方がない)。でもこのオヤジの強さはハンパなものではない。後に江戸幕府を作った、あの徳川家康でさえ軽く負けて、恐怖のあまり脱糞して逃げ帰ったといわれる。


“信玄が愛した男”なにやら怪しい関係は真実として伝えられている。高坂はそうとうな美男子だったそうな。だからか、、、行列でのこの武将役、可愛い女性である。
・・・この男の話は後にも登場するので、高坂弾正の名は覚えていてちょうだい。いいヤツなんだ。


武田軍でもっとも有名なのが勘助。信玄の知恵袋として数々の戦いに勝利した。しかし、川中島の合戦で勘助の“キツツキ戦法”なる作戦は上杉謙信に見破られ戦死。
なお、当てずっぽうのことを“ヤマカン”という。それは山本勘助の“山”と“勘”をとったという説もあるが、筆者はそれを信じたい。・・・俺の“勘”(カン)だけどね。


信玄の実の弟。武田軍各武将からの信頼も厚い。
真田幸隆(ラムネ男)の息子 昌幸(まさゆき)は武田信繁を尊敬し、自分の子に“信繁”と名付けた。それが、かの有名な真田幸村の実名である。




武田軍、最後のお出ましは忍者を伴なった信玄公。越後の謙信公春日山城下は敵地だが、態度はデカイ。かなりデカイ。
それでも大きな歓声、拍手で迎えられるは、信玄の遺言、あのひと言であろう。(後に解説予定)
・・・でもそのひと言、この観客の、いったいどれだけの人が知っているのかなあ、、、。



 出陣行列、ほんとは両軍入り乱れてやって来るので、どっちがどうだか分かりにくくなってしう。だから私のアレンジで武田軍と上杉軍に分けたのである。
 でも武将の名も所属も知らなくても、案外分かりやすい。赤色主体の派手なのが武田軍で、地味なのが上杉軍なのだ。
 なお、なぜ武田軍が“赤”なのかは、あの温泉のダンナ、山県昌景(やまがたまさかげ)が武具を朱塗りにした“赤備え”(あかぞなえ)に起因する。山県隊の赤備えは他の名だたる武将にも影響をあたえているが、めんどくさいからその解説は省略。

 さあ、次は上杉軍。謙信公のお姿は、いかに。。。





信玄軍を二度も負かしたことがある強い武将だ。
でも信玄に信濃の領地を攻められ、上杉謙信に助けを求めた。(強いんだか弱いんだか?) 謙信と信玄の戦いのきっかけはこの男か。


上杉軍四天王の一人。最強の武将で常に先鋒を務め、彼の名を聞いただけで敵は逃げ出したとも伝えられる。また、川中島の戦いでは山本勘助を討ったのは景家であるという説も。


上杉軍四天王であり、軍師。伊豆の東海岸に“宇佐美”という街がある。宇佐美定満はそこから出た一族。NHK大河ドラマでは緒形拳がその役を、、、渋い!




第四次川中島の戦いでは殿軍(しんがりぐん)を勤めた上杉軍四天王。“しんがり”とは、劣勢の戦いで、撤退する軍隊の最後尾を務め、敵方の追撃を自分の部隊に引きつけ、本隊を逃がす光栄なる大役。・・・危険だ、私ならぜったい遠慮する。


春日山ではうろついていたが、なぜか行進の写真がない。この人も上杉軍四天王の一人。なお、実の子ではないが家を受け継いだ直江兼続(かねつぐ)は2009年NHK大河ドラマの主役に決まっている。


「鬼小島」と恐れられたほどの豪傑な武将。川中島の戦いでは、使者として武田信玄と会見中、信玄の猛犬が噛み付くが、鬼小島は地面に叩きつけ、なにくわぬ顔で退出したという。


丸に十字といえばあきらかに鹿児島の島津家、後の薩摩藩。しかし島津規久が信州の武将はなぜ? これを話すと300年以上前の鎌倉時代の源頼朝までさかのぼる。ややっこしいので省略。




戦いの最中、尿意をもよおし、放尿しながら片手で敵を三人斬り捨てたとの伝説も残る猛将。小便されながら殺された相手は、さぞかし無念であったろう。


わざわざ山形県米沢からおいでなすった鉄砲隊。そのいでたち、他の武将行列と違和感があるのは、少々時代が違うため。まあ、お祭りなんだから、あまりこまかいことは言うまい。




さあ、いよいよ最後は謙信公かと思ったら、
米沢藩鉄砲隊のうしろには、パトカ〜〜〜。


「雰囲気ブチ壊しだぞ〜!」
「この空気が読めね〜のかぁ〜?」
「じゃまだよジャマ!」
(観客談)

一生懸命仕事しなすってんだよ新潟県警察さんは。
(このクルマ、あまり好きではないが、ちょっと可哀そうに思った。)



 ひっぱるねえ、謙信の登場までかなりひっぱる。でもひっぱるのは私のアレンジではない。このイベントの演出なのだ。

 信玄軍、謙信軍の行列は、目の前の通りを通過し、折り返してまた戻ってくるという。謙信公を連れて。

 さあ、今度はほんとに上杉謙信のお出ましである。
 これだけひっぱられたんだから、どこぞの貧素なオヤヂじゃあ勘弁できねえ。いままで謙信ファンのこの私も、信玄ファンに寝返ってやる。。。





上杉謙信、大勢の武士たちに囲まれ、やって来る。

なんだかオヤヂって感じじゃあないぞ?


白馬に乗って現れた謙信、なんと凛々しく、美しい男なのだろうか。








Gackt、ガクトじゃないか!
綺麗な男だと思ったら、ガクトかぁ。
NHK大河ドラマでの謙信役そのままに、ガクトが出陣かぁ。
カッコいいなぁ〜。

だからこんなに人がいるのかぁ。

 わざとらしくて申し訳ないが、ガクト出陣は、この2週間前に知っていた。でも春日山訪問は1ヶ月前から予定していたわけで、その時は知らない。
 ガクトが謙信役で出陣するという情報を得たとき、正直なところヤバイッと思った。人が大勢来るんだろうなあ、武将や足軽たちの写真はまともに撮れないだろうなあ、と。その意味では、予期していなかった春日山での武士のひとときはラッキーだった。とりあえずナマ ガクト、いや謙信公は撮れたし、まあ、結果オーライとしよう。

 えっ、ガクト知らない? ・・・ぜったいいると思ったよ、今読んでるそこのお客さん! このページの読者、オッサンも多くおられるからねえ。でも恥じることはないのです。かく言う私も、ガクトの歌、まったく知らない。
 


 やっぱり謙信ファンのままでいよう。・・・こう思いながら春日山城下を後にし、妙高山の宿へとバイクを走らせる。今日の仕上げは“謙信の隠し湯”である。ここまで来たら、徹底的に“謙信”だ。海に近いこの平野から、いっきに標高1150mの燕温泉まで、スロットル全開。


[武将たちを調べるの、たいへんのなんの。このページ、あまりにも時間が掛かってしまったので発信進行が遅れている。だから歴史に触れる旅は避けたかったのだが・・・もう手遅れである。]

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