みなさんご無沙汰してます!
今回、松下がイギリス、マン島という小さな島で
1907年から行われている 「マン島TTレース」という
世界最古のモーターサイクルレースの話です。
◆レポート:松下ヨシナリ 
◆写真
伊丹孝裕 TAKAHIRO ITAMI
松下ヨシナリ YOSHINARI MATSUSHITA
アラン・ブラウン Allan Brown
www.manxracingprints.com
[2007年6月4日〜]

 このページを見ている御仁は知っている人が殆どだと思いますが、マン島はイギリス連邦の一部ではあるが、自治権を持ったイギリス王室属国なんです。つまり、独自の政府を持っているってわけ。ちょっと俺みたいなコテコテの日本人にはピンと来ないけど、まぁ、そーゆーことらしい(笑)

この島へ渡るのは、オレ自身2006年と合わせて2回目。今回もイタミっちことジャーナリストの伊丹孝裕くんと一緒だ。ぶっちゃけ、彼と行動している理由は、俺がまーったくイングリッシュが駄目って事と、大マジで2人とも「マン島TTレースに出場したい」って思ってるから。
 
 「TT」とは、ツーリスト・トロフィーの略で、普段生活に使っている一般公道を一時閉鎖し、レースコースとしてスピードを競う。
 島をほぼグルッと1周する中には、市街地や峠道もある。もちろん、歩道の縁石や白線、マンホールだってあるし、コースサイドはエスケープゾーンなんてほとんど無い。いや、皆無と言っても過言ではないだろう。イメージしづらいかと思うが、路面は日本の道路と大差ない。ただ、恐ろしくバンピーな区間があったりもするし、結局は“公道”と割り切るしかない。しかも、そのコースは1周約60キロにもおよび、レースではクラスによって3周から6周をたった1人のライダーが周回する。つまり、6周で360km! 3周でも1レース180Kmも走らなくてはならない。時間で見ると、6周のスーパーバイククラスで
は、実に約1時間50分以上に相当する。当然、給油だってある。これはもう「ひとり公道耐久レース」とも言える恐ろしく過酷なものだ。

 マン島TTレースは、もともとは世界GPの一戦として組み込まれていたが、1976年を最後にGPのカレンダーから外された。理由は「あまりにも危険だから」そりゃそうだよね。70年代後半、年々ハイパワー、ハイスピード化するマシンが、エスケープゾーンも殆どない“公道”で、ガチンコのスピードレースをするんだから。でも、GPカレンダーから外された現在でも、TT(ツーリスト・トロフィー)レースを愛する、マンクス(マン島人)や、ファン達、そして世界屈指の難コースに挑む“挑戦者”達に支えられ、とうとう今年、100回の記念大会を迎えたってわけ。
 さてさて、カタい紹介はここまで。真面目なレポートは雑誌「Clubman」267号や、「RIDING SPORT」296号に松下が寄稿しているから、そちらをご覧ください。














(マン島1日目:6/4月曜)
 TTレースの“お祭り”は、約2週間。今年は5月の26日(土)から6月8日(金)までの日程で行われた。
 俺たちがマン島入りしたのは6月4日。ちょっと入りが遅くなった。理由は100周年のお祭りって事で、島に訪れる人が多すぎて、飛行機が取れなかったから。

 今年は約10万人と、2万台以上のバイクが島になだれ込んだと報じられていた。まぁ それでも、何とか島には上陸できましたが、フェリー港がある首都ダグラスはもとより、島中がTTを観戦に来たバイク野郎たちでごった返してた。兎に角すごい人人人! バイク、バイク、バイク! ジャンルもバラバラ。ビンテージ、アメリカン、スーパースポーツ、オフ車、モタード、ヘンテコなカスタムまで何でもありッ! って感じ。
 単なるバイク好きの松下としては、眺めてるだけでも楽しい状況です(笑) ちなみに、俺の知人のカメラマンさんは、2年も前から今年の宿やレンタカーを予約してたそうだ。いやはや、なんとも・・・

 今回の宿は、な、なんと日本から唯一TTに出場しているサイドカーチーム「RISING SUN RACING」の宿舎! ドライバーの渡辺氏のご厚意で、寝泊まりをさせていただける事になっていた。ただし、俺たちみたいな輩も多いらしく、1部屋に5〜8人が雑魚寝。俺はもち、シュラフ持参です(笑) ぶっちゃけ、宿屋はどこも満杯だし、レースを戦いに来ている彼らには迷惑にならないように気を付けながら、ちょっと普通じゃ出来ない貴重な体験に、ワクワクを隠せない俺がいた事も事実です。
 この日、俺達はが上陸したのは夜の8時過ぎ。宿舎に着いたのは9時30分を回っていました。その日のレースは当然終わってます。観戦は翌日からって事で、すぐに眠りに付いた。





 (マン島2日目:6/5火曜)
 もぉー 朝から最高にいい天気! 実はTTレースは1日おきに行われるのだが、前半日程の天候不順のため、この日もレースが行われた(ラッキー!)。ウキウキの俺は、プレスルームでマン島TT日本人スタッフ、淺田ふみよ氏から様々な情報をゲットして、グランドスタンド周辺で取材することにした。
 レンガ作り(?)のコントロールタワーが青空にそびえ、その左右に約600人程が座れるスタンドがある。ちなみに「グランドスタンド」ってのはマン島では、れっきとした地名なんだよ。
 この日は、SS1000の決勝レースと、サイドカー、ジュニア600のプラクティス。そして、歴代のクラシック・バイクが実際にTTコースを走る“ラップ・オブ・オナー”という恒例のパレードラップが行われた。しかし、ほんと文化の違いをヒシヒシと感じるねー 100年の歴史を彩った歴戦のマシン達は、どの車両もピカピカなうえ、実際にかっ飛んでコースに飛び出していく。ライダーは「お爺ちゃん」が多い。いかにも“孫”って感じの男の子がグランパのためにマシンを押す姿や、若い恋人同士の様に寄り添いあう老夫婦の脇には、古のTTマシンが佇むって感じなんですよ。これ見るだけでも、ホント素敵な気持ちになれます。

 俺達はバイクもクルマも今回はゲット出来なくて、移動は自分の足。この日の夜、TTコースのバンガローと呼ばれる場所で、昨年クラッシュで他界した前田淳選手の散骨式が行われた。移動手段が限られている俺達は結局、参列する事はできなかったが、日が長いマン島の夕刻。透き通るアイリッシュ海の青空に両手を合わせた。その空を縦横無尽に飛び回るレッドアローのアクロバット飛行が、少しもの悲しく見えた。でも、俺達は生きている。前を向いて進まなくっちゃ! 俺の人生は1度きり。出来る事にはチャレンジしたい! そういう意味でも、今回全て手弁当のサイドカー・ジャパンチームには本当にリスペクトするし、応援したい。
 とか何とか言いながら、レッドアローは凄かったし、いっつもパブでエール(地ビール)を飲みながら上機嫌な俺。我ながらノーテンキな男だ(笑











 (マン島3日目:6/6水曜)
 サイドカークラスは予選を通ると、A、Bの2レースを走る事になる。この日は、RISING SUN RACINGの2回目のTT決勝レース。「レースB」だ。すでにレースAは見事43台中39位完走しており、今回も活躍が楽しみだ。
 「なーんだ、ビリのほうじゃねーか」と言ってはいけない。まず予選を突破するだけでもニューカマーには大変な事だ。しかも決勝は70台近いマシンがコースに出て、完走した中での39位だ。つまり約3分の1のマシンがリタイヤする程の過酷なレースを初出場でキッチリ完走した。これは本当に凄い事。
 TTレーサーは、完走する事で賞賛を浴びる。観客からはサインをねだられ、握手を求められるのだ。
 
 この日は、前田淳選手の散骨が行われたコースの中でも「マウンテン区間」と呼ばれる中の、バンガローというS字区間で観戦する事にしていた。
 朝っぱらから「エレクトリック・レールウェイ」という世界最古の電気列車(まぁ電車ね)に揺られバンガローに向かった。
 しかし、マン島には“世界最古”が沢山あるですよ。この電車もそうだし、TTレースも。そして「機関車トーマス」が走ってるって知ってました?
 実は、あの機関車トーマスのモデルになったホンモノの蒸気機関車がバリバリの現役でまだ島を走っているんです!! これにはオトナの俺達も大興奮です!!(笑) 
 夫婦坂オヤヂなんか、きっと嬉しさのあまり毎日乗りに行っちゃうな、きっと。
 バンガローに到着すると、丘の上にたたずむジョーイ・ダンロップさんの銅像に会いに行く。アイルランドの公道レースで亡くなった“英雄”は、このマン島の地に伝説として語り継がれ、このバンガローの丘からTTレーサー達を見守っている。
 
 この日はなぜか色んな日本人とバンガローで会った。
 ひたすら昼寝を決め込むライダースクラブ竹田津キャプテン(笑)
 ひたすら撮り続ける女性カメラマン&大宮在住の杉谷カメラマン。
 なんだか、ちょっとホッとした。
 サイドカーレースが始まった。
 俺は夢中でドライバー渡辺氏とパッセンジャ吉田氏から託された“日の丸”を振った。
 イタミっちはシャッターを切り続ける。
 この日も彼らは見事に完走! 38位でレースを終えた。
 夜、その日完走したチームはダグラスの街のジンジャーホールで表彰される。完走した全てのライダーがだ。
 彼らが手にする「完走」のメダルは、マン島TTを走りきった栄光の証なのだ。
 
 ここで、ちょっと恥ずかしいはなし。
 下位とはいえ見事に走りきったジャパンチーム。大きなホールに入ると、テーブルは人で埋まっている。見ると一番前の円卓に、まだ5人くらい座れそう。「ちょっとココ空いてます?」って聞いてみると、困り顔で「ここはチームのリザーブ席なんだ。ごめんよ」ってな返事。
 なんだよー「ケチ!」とか俺は思ったんだけど、後で優勝者の表彰を見てビックリ!
 さっきの「席空いてる?」なんて俺達が聞いたチームの人でした(笑) 「知らない」って怖いね〜 あー恥ずかしかった(笑)

 この日でサイドカーのレースは全て終了って事で、俺達はしこたま酒を飲んだなぁ。クルーの皆さんや、ライダー達もホッとしたと思う。後は残りのTTレースをエンジョイするだけだ。


 (マン島4日目:6/7木曜)
 なんと! この日から2日間、UKホンダさんからCBR600Fを貸していただける事になった!! やったー!! しかも、タンデムしなくちゃならない俺達2人にはチョコッとスポーティーでちょうど良い最高のマシンだ。ホンダさんありがとうございます。
 朝イチで、有名なメインストレート裏の墓地へ。前田淳選手のメモリアルに合掌。
 この日はレースが無いので、兎に角CBR600Fで60キロのコースを走り回った。
 中でも驚きなのは、コース内のマウンテン区間と呼ばれてる島北部の有名なコーナー、ラムジーヘアピンからグレッグ・ニィ・バーコーナーまで、約15キロの道路を一方通行にして、バイクもクルマも走り放題、制限速度ナシ!っていうアブナイ企画「マッ
ド・サンデー」ってヤツ。例年は日曜日だけなんだけど、今年は、レースのない時間帯はずーっとワンウェイになってるそうだ。これじゃぁ「マッド・エブリデイ」だ。
 実際、事故が絶えず、メッチャ危険! でも、ここを走るのが楽しみで毎年マン島TTを訪れるファンも多いと聞く。
 この日、取材や撮影をしながら俺はコースを3周した。しかし、普通に走ると1周小1時間かかるコースをTTレーサーは18分とかで走っちゃう訳だから尋常じゃないのはご想像していただけるだろう。

 さてさて、この日の夜は、ライジング・サン・チームの吉田パッセンジャーが、このマン島で仲良くなったオランダ人の方々にパーティーに誘われたので出かける事に。
 パーティーつっても、キャンプ場だから、青空パーティー。言葉がカラッきしな俺も、なんだかノリで馬鹿騒ぎにちゃっかり参加。面白かったなぁ〜。ココでもライジング・サン・レーシングの渡辺&吉田組は大人気! サイン&記念撮影責めと大忙し! やっぱ、兎に角“完走”走り抜く事が彼らにリスペクトされる。この晩、俺たち数人の飛び入り日本人は、すっかり酔っぱらい状態で就寝。




















































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