米沢に着いた。この市内には二つの目的がある。ひとつはここ米沢藩を支えてきた上杉家を巡ること。そしてもう一つは、米沢の織物、米沢紬(つむぎ)を買うことだ。
 蚕(かいこ)のまゆから織り上げる紬(つむぎ=シルク)はそう安いものではない。一反(和服一着分)で10万、20万はごく普通(安いほう)の世界なので、いちおう我がサイフには25万両ほど用意しておいた。
 で、紬を買って何するかって、、、? 2006年弊社のテーマは“和”、その紬を使ってニッポンの伝統を取り入れた製品作りを考えている。かなり高額な素材なので慎重に、冷静に。
 しかし、、、今日はGW連休中。観光的要素の資料館しか営業しておらず、紬購買作戦は早くも挫折。次の機会を探ることにする。
米沢織物資料館。本場の米沢紬にめぐり合えるも、購買には至らず。それにしても、その他連中にはトンチンカンな場所である。


「たまには歴史の勉強だ!」と上杉神社に向かう。



へらへらと歩きながら、屋台の食いもんばかりに目がゆくDEBx2(0.18トン)


おい、オメーら、これをなんと読む? 「“へ”ですかねえ」
・・・“へ(屁)”だとぉ!馬鹿言ってんじゃネエよ、“び” だぁ! して、その意味はと聞かれても、知らんっ!。


上杉神社は、米沢城址にある。


 上杉景勝(うえすぎ かげかつ)は会津120万石の藩主でもあったが、1600年の関が原の戦いで敗れた西軍のため、30万石に落とされ米沢藩の初代藩主となる。その後、幕末までの二百数十年間、上杉家はずっと藩主である。
 なお、景勝のオヤジは、1500年代に武田信玄と何度も戦った(信州:川中島の決戦)あの戦国の武将、上杉謙信。・・・おい、パニアを落としたそこのDEB!覚えとこうな。。。
この像は第9代藩主:上杉鷹山(うえすぎ ようざん)

上杉鷹山の有名な歌。ほかに、
「してみせて 言って聞かせて させてみる」
いずれも今に通用する言葉である。


上杉神社近くの松嶋屋で、柏もち、エクレアを買い、今晩の夜食に。
なお、米沢に来た皇太子夫妻が食したとされる和菓子も買うが、どおせ夜食に出しても、彼らにはその優雅な味が分かるはずもなかろうと、家に持って帰る。


 菓子屋からは私ひとりだけ単独行動をとり、後に小野川温泉の宿で合流とする。その理由は、もう少し米沢藩を探ること。個人的な興味に彼らをつき合わしてしまうのは申し訳ないと思ったからだ。(もし着いてくると言われても足手まといだから、きっと「先に温泉でも入ってやがれ!」と言ったことだろう)



残念ながら桜の見ごろは終えていた。上杉神社(米沢城址)の北側にて。


上杉伯爵邸は、上杉家14代茂憲(もちのり)の本宅として建てられた。美しい邸宅と庭園、現在はここで郷土料理や米沢牛などを味わえる。次回来たなら、ぜひ食ってみたい。

伯爵邸の裏手の堀では、子供らがザリガニ獲りを夢中で楽しんでいた。コンピューターゲームなどより、はるかに健康的だ。



 上杉家、歴代藩主の墓所でる。GSFで門の前まで乗りつけたが、まあ、なんと言おうか、あまりにも神聖な感が強く漂い、ヘルメットをぶら下げて入るのをはばかる。
 なお、ここにも「毘」、そして並んで乱れた字で書かれた「龍」がある。これらは上杉謙信戦国時代から、毘は陣地に置かれた軍旗、龍は攻撃時の軍旗だそうだ。




小野川温泉・米沢牛・ビール・日本酒・米焼酎、、、グロッキー。

宿の前に止めたバイク。赤と黄色ばっかし。

 私ひとりが1時間少々遅れて宿に着く。みんなの部屋に案内されて、真っ先に冷蔵庫を開けるが、無い。「おい、ビールがねえぞぉ!」に、「もう飲んじまったよぉ」だと。〒君が気を利かせて隣りの部屋からビールを持ってきてくれ、ちょうだいする。・・・走ったあとはさすがに旨い!
 そうそう、もうひとりこの宿で待ち合わせているヤマハMT-01に乗るコンピュータ氏がまだ来ていない。皆に聞くと直前にメールが届いており、まだ150キロほど離れた秋田県を走ってるそうだ。それじゃあ夕食に間に合わないだろう。「大手コンピュータ会社の課長ともあろうもんが、距離の算数も分からんか、馬鹿もんが!」に一同うなずく。
小野小町や伊達政宗に愛されたという小野川温泉。ラジウム含有のいい湯だ。



うめや旅館に夕食の時がやってきた。
料理の内容は、予約したコンピュータ氏が遅刻してるのでよくわからないが、米沢牛すき焼き付の写真コース。おっと、写すのを忘れたが、ステーキも付いてきた。
やはり和牛はいいやなっ。
ちなみに米沢牛は黒毛和牛。弊社の和牛革も同じ。ただし、兵庫県 但馬牛。







男はだまって飲む。(筆者)


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