讃岐うどんの全国的なブームとともに(東京だけか?)東京時代の僕の友だちからも、うどんツアーへ行こうという誘いがさいさい有り、数年前から知らない名店へ足を運ぶこととなりました。
 うどん屋めぐりをしていて感じたことは、出汁に違いはあまりないこと。煮干し・昆布・かつおをたっぷり使うと、素人でもそれなりの出汁になります。化学調味料を使うなんてもっての他……。そんなもの使ったら最後! 味にうるさい地元のご意見番から、愛想をつかされてしまいます。ただし、100円ポッキリのうどんで、あまり贅沢言うのも野暮な話。料亭で出されるうどんと一律に比較するものではありません。出汁はコストと味のバランスが肝心なのかもしれません。
 麺は逆に、僕の経験の浅さを感じました。西の有名店は、本当に素晴らしい麺を出してきます。しかも100円で。またそのこだわり方もスゴイ。讃岐うどんと一口でいっても、その麺の個性は店により全く異なり、硬い・柔らかいだけでは判断が付きませんし、コシという言葉だけでは表現しつくせない何か複雑な要素がからみあっているのです。
 そしてその麺をいつ打つか、いつ茹でるかによっても変わってきます。本当に良いうどんを知っている店は、客の顔を見てから茹でる。もしくは必要以上にうどんを打たない、ゆがかない。麺の命ははかないのです。朝一番でうどん屋さんへ行くのと、閉店間際とでは大違いなのです。
 赤坂製麺所は、地元の人たちのためにうどん玉を作っているお店なのでしょう。旧琴平街道の、琴電陶駅近くにあるのですが、魚のトロ箱に木ぎれをさし、その先に布で「うどん」と書いてあるだけでした。やる気のあるなしなんかじゃなく、地元の人が買ってくれれば良いのでしょう。
 おんぼろの納屋……の狭いスペースにカウンターがあって、不気味な薄暗さ。かなりディープな雰囲気です。奥にはうどんを茹でる釜と、麺を伸ばすローラーうどん鉢を洗う流しがちょこんと置かれていました。
 店には、白ひげのおじさんと、ヤケに愛想の良いおばさんがいて、おじさんはカウンターの中で、ビニール袋に入ったうどんを足で伸ばしていました。
「あついん」を「ひとたま」「だし」で頼むと、おばさんがすばやくうどんをあたため、出汁をかけた素うどんが出てきました。
「ネギはそこでチョキチョキ切ってな」
 と言われカウンターの上に無造作に置かれているネギをちょっと薄汚れたはさみで切って、うどんの中へ入れます。店の外へ出て、うどんをすすると、麺は讃岐うどんにしたら細麺。しかもちょっと横へ平べったい。ちょうど、おみやげ物の乾麺をゆでた……そういう麺でした。でも、茹で加減はちょうど良く、コシがしっかりと残っておりつつ、のど越しのすっきりする、いいうどんでした。ただ、ちょっとでも時間が経つとプチプチ切れます。時間をおかず早めに口へ入れるのが良いでしょう。うどん大(2玉)ものびる恐れがあるので、一玉ずつ別にお代わりをたのむ方がベストかもしれません。
 感激したのは、この出汁。120円ながら、この味はいったい何なんだろう。素朴ながら、奥行きのある、良い出汁なのです。ベースは煮干しなのでしょうが、それだけではない感じがしました。出汁までしっかり飲んだ後、ちょっと足りなかったので、「醤油」を追加。「おばちゃん玉もらうで」と声をかけ100円を置いて、カウンターの醤油をかけます。醤油うどん(讃岐では生醤油うどんという)は、麺を味わうには最適の方法です。出汁にごまかされずに、麺の素性を推測できます。麺は前述のとおりウマイ。コシもある。しかもシェル?は透明でプリンプリン。中まで火が通っている。
 驚きは、この醤油。スーパーで売っているものとは全然違う。天然物だけの、昔ながらの製法で作った物だろうか? とにかくさっぱりとしているのだが、舌に味の奥行きがある。そして後味が本当に良い。そうだ……ここの出汁はこの醤油の味なんだ。そんなことに気がつかされたのでした。昔ながらの製法で、しっかり作っている醤油なんてもはや手に入らない時代。大量生産された醤油で育った世代でもその違いはしっかりワカる。本物とはこういうものなのでしょう。 後継者なんて絶対にいないのでしょうが、いつまでもこのうどんを食べたい……。そんな気がしました。

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