安芸灘大橋


瀬戸内海の島と島をつなぐ橋と言えば、瀬戸大橋、淡路を経由する二つの橋、そしてしまなみ海道の三つが有名。・・・でもそれ以外に意外と知られていない橋ができていたのです。それが「とびしま海道」。どんな所なのか、そしてツーリング向きなのか調べてきました。


 とびしま海道の正式名称は、安芸灘諸島連絡架橋のこと。広島県呉市沖合の島々を橋と道路で結んでいます。
 

 ウチからは、瀬戸大橋を通って、山陽道を西に。高屋ジャンクションから東広島と呉を結ぶ高速道路(無料)区間を通ると、呉の西隣「広」という町にたどりつきます。ここまで普通に飛ばして(笑)、ウチから2時間ぐらい。
 広から海伝いに西へ行くと、最初の橋「安芸灘大橋」が見えてきます。



 安芸灘大橋は、平成11年完成の1175mのつり橋。道中この橋だけが有料でして、二輪なら550円です。
 もちろん広島方面へ帰る場合もお金を取られるのですが、下蒲刈島で観光をし、スタンプをもらうと、帰りの通行券をくれるようになっています(2010年8月現在)。
 この橋だけだったら、料金はちょっと高いかも・・・。でも後の橋は無料なので、7つの橋まとめてだったら納得価格かもしれません。

 安芸灘大橋を渡り、最初の島、下蒲刈島に到着します。

 この下蒲刈島。昔の海上交通の要衝で、船の荷の積み降ろしのための「がんぎ」(階段状の岸壁)が残っています。

 下蒲刈島は、西国大名の参勤交代や朝鮮通信使の船が訪れた島で、当時(江戸時代)はスゴく賑やかだったのだろうなぁ・・・。港の遺構を見るとそんな雰囲気がプンプンしてきます。

 当時の関所などを再現した博物館や庭園もキレイにしていて、とびしま海道の玄関口としてワクワクさせてくれます。

下蒲刈の外周道路は立派な2車線。
海岸も公園のように整備・・・でも不思議と誰とも出会わない。

 島には2車線の立派な道路が整備されています。港や公園もずいぶんきれいなのができていますが、気になるのは人がいないこと。そこに住む人にも、観光客にも出会えない。いくら平日とはいえども、何となく寂しい感じがします。

 さて、気を取りなおして次の橋へ。



 
少しレトロな雰囲気があるのは蒲刈大橋。できたのは昭和54年と、とびしま海道の中では最も古い橋です。長さは480mとさほど長くは無いのですが、鋼材をたっぷりつかったトラス橋で、昭和の橋・・・って感じがしますね。

 橋を渡ると上蒲刈島。この島で今全国的に有名なのが藻塩。
 古代の土器製塩遺跡が発掘されたことをきっかけに、大昔の塩づくりを復活させたのでした。県民の浜という所に、藻塩の遺跡と藻塩を作る工場があります。
 海藻のホンダワラと目の前のきれいな海水を煮こんで、塩を作り最後に焼いて完成なのですが、問題はその味。おにぎりを作って食べると、今の科学的に作る塩との違いがよくわかります。ウチの子どもだって、「海の味がする・・・美味い」ってつぶやくぐらいですから。

 藻塩アイスも、微妙に塩辛くて美味しかったです。甘かったり、辛かったり大変ですが(笑)。

 さて、道をいそいで次の橋へ。



 
次は、豊島大橋。平成20年完成と、とびしま大橋の中で最も新しい橋です。橋の長さは903mのつり橋。

 豊島は、例えてみると円錐のような形をした島で、平地がほどんど無い島です。集落は島の北東に固まっていて、昔から漁業が盛んな島・・・と紹介されていました。

 
この島、このとびしま海道の中では、最も人を多く見かけた島です(ほとんどお年寄りですが)。
 島の建物は、狭い敷地のせいか三階建ての家も多く、生活道路も急な坂すぎるので、わざわざ小さなループ橋を作ってしまう・・・という具合。
 今はともかく、かつてこの島だけの単独町だった時代、海の幸に恵まれて、とっても豊かな島だったのだろうなぁ・・・なんてことを想像してしまいます。役場も学校もすごく大きいですものね。

 そしてそして、豊島を後にまた次の橋を渡ります。



 
奥の方に見えるのが豊島と大崎下島を結ぶ豊浜大橋。平成4年完成のトラス橋です。全長543m。
 トラス橋というのは、鋼材で三角形を作り、それを組み合わせて橋を作る方法。それも橋桁の間が長くなると、微妙なアーチを作らなきゃならないので、結構複雑なデザインになります。でも味気ないつり橋よりは格好イイかもしれません。


大崎下島の北、久比という集落で、「お好み焼き」ののれんがかかった家を発見。

店名は「ひばり座」。美空ひばりが大好き・・・らしい店主が描いたひばりさんの似顔絵がかかっています。

お好み焼きは、普通に広島焼きが出てきます(だって広島県ですものね)。この味・ボリュームでワンコインでお釣りが来ます。大満足!



 
大崎下島の西には、御手洗という集落があります。ここは潮待ちの港として栄えたところです。瀬戸内は干満の差が激しく、航行に適した潮になるまで船を留める必要がありました。

 当然、物資の補給の地として栄えるのですが、その昔は遊女も多くいて、船乗りの歓楽地でもありました。そんな独特の雰囲気のある街並みが残っていて、その昔の繁栄を感じさせてくれます。
 ここの街は、昼歩くより、夜の方が雰囲気を感じるのにはいいかもしれませんね(今となっては夜には誰もいないでしょうが・・・)。

 さて、まだまだ橋巡りは続きます。


おっとここでも、坂本龍馬の足跡が。薩長連合によって、倒幕の機運が高まりつつあったころ、広島藩も情勢を判断し、幕府側から薩長側へと寝返りました。その薩長と広島藩が手を結んだ(御手洗条約)のがここ御手洗の金子邸。長崎と京都を行き来した坂本龍馬も時を前後して、この地に何度も立ち寄っています。




 
さて、ここからは広島県から県境をこえて愛媛県へ。岡村島へ渡るために、橋を三つ連続で渡っていきます。まずは斜張橋の平羅橋。平成7年完成で、全長は99mとちょっと小振りな橋です。



 
次は、中の瀬戸大橋。ニールセン・ローゼ橋といってアーチ状に組み立てた鉄骨から斜めにワイヤーを張って道路を支える方法。平成10年に完成し、長さは251m。



 
そして最後は岡村大橋。こちらもニールセン・ローゼ橋で、平成7年に完成。長さは228m。これら三つの橋をまとめてオレンジラインとも言うそうです。確かにどこへ行ってもみかん畑ばかり。みかんを運ぶためのモノレールが至る所にあります。

 
橋を三つ渡ると、岡村島に到着。岡村島は、愛媛県今治市の一部になっています。写真の展望台がとびしま海道の最も先端部近く。陸路で行けるのもここまでです。

 行政区域は愛媛県でも、橋ができると実質的に陸続きとなった広島側との結びつきが強いでしょうね。

 展望台からは四国が目の前に見えます。しまなみ海道が通る大三島との距離はあと少し。この先も島が数珠つなぎになっていて、今まで渡ってきたような橋を架けると、しまなみ海道につなぐことができると思うのですが(素人考えですが・・・)。


 
この岡村島で、橋の旅はおしまいです。

 岡村島からフェリーで今治にわたることもできるのですが、まだ時間があったので、大崎下島の小長(おちょう)港から、大崎上島の明石港へわたります。
 料金は770円(750cc以上+大人料金)。時間等はこちらのHPから調べて下さい。

 橋ができるまでは、たぶんこんな船で、島と島を結んでいたのですね。橋ができるとフェリーは廃止になってしまいます。でも船旅って、風情ありますねぇ。


 明石港は、大崎上島の南端の港。港の雰囲気からして、これまでの島とは活気が違います。

 それは、大崎上島が造船などの産業で発達しているから。商店や工場もいっぱいあり、とても橋がつながっていない離島という雰囲気はありません。だってスーパーやパチンコ屋さんまであるぐらいですから。ちょっとした地方都市の雰囲気です。

 その大崎下島を一周ぐるっと回ってから、しまなみ海道の通じる大三島に渡りました。フェリーは、大崎上島で働く大三島の工員さんたちと一緒でした。

 大崎下島の西、木江の天満という港から大三島の宗方港へ。料金は1210円(750cc以上+大人料金)。時間等はこちらのHPへ。

 フェリーの時間帯は、限られているので出発前にしらべておくといいでしょう。日帰り旅なら遅くても4時〜5時の間に島を離れるのが賢明です。それを逃すと、場合によっては来た道を帰らなきゃなりません。

 大三島へわたってからは、しまなみ海道の伯方島、大島を経て今治へ。いったい一日でいくつ橋(しかも巨大橋ばかり)をわたったことやら・・・。



 さて、このとびしま海道。まだ延伸計画はあるようでして、一番先端の岡村島から大崎上島への架橋は、実際の計画としてあるそうです。
 そして岡村島から、大三島へ抜ける架橋構想もあるようです。でも・・・現状では、見た限り全く白紙に近い状態と考えてもいいでしょう。

 ツーリングには、変化があってとっても楽しい島々と風光明媚なこれらの橋。でもちょっと気になるのが、立派すぎる橋や道路と、人をみかけることが珍しいほど過疎が進む島の雰囲気とのギャップ。

 確かに、橋ができて便利になったでしょうし、僕のような観光客も増えたでしょう。そりゃ船で渡っていた昔と比べると・・・。

  
橋の供用による整備効果は・・・

● 橋での通行は天候の影響を受けにくく24時間利用できるため、通勤通学や買い物・レジャーなどが大変便利になります。
● 急病人がでた場合でも、時間にかかわらず本土の大きな病院に行けるので、島の人々の暮らしが安心で便利になります。
● 島しょ部では農業(みかん)や漁業が盛んです。架橋により、出荷が安定し輸送時間の短縮による鮮度の確保が可能となり、産地イメージの向上に結びつきます。
● 人々の行き来する機会が今までよりもずっと増えるので、地域の活性化や観光産業の振興にも大きく役立ちます。
● 隣の島や本土にも気軽に行け、人々のつながりがいっそう深まります。このため、地域の文化や経済交流などが活発になり、社会生活の充実や拡がりに大きな期待がよせられます。


広島県のHPより

 僕も瀬戸内の離島に3年間ほど住んでいたことがありました。その離島の不便さは痛いほどよくわかりますし、橋が架かること=バラ色の将来と映ることでしょう。でも橋ができた現実は実際どうなのでしょう。
 
 正直、ここまで閑散としていると、本当に想像もつかないほどのお金をかけて橋や道路といった資本を整備する必要があったのか・・・僕らのような素人でも行政のお金の遣い方・・・心配になってきます。

 せっかく作ったのだから・・・誰からも「出来てよかったねぇ」と言われるほど活かさないと(笑)。そんなことを今回の旅で感じました。


 
 将来的に、(生きているウチに)四国まで橋が架かって、呉方面までこの道を通っていけるようになればいいねすねぇ。

 ツーリングコースとしては、変化があって面白い! 知られざる「穴場」かもしれません。近くに来られた方。ぜひとびしま海道をツーリングされることをおすすめします。
 



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